空想日記

6月21日:溝に閉じ込められた永遠の調べ

2026年1月20日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

ニューヨークの湿り気を帯びた初夏の風が、パーク・アヴェニューの街路樹を揺らしている。ウォルドルフ=アストリアホテルの豪奢な広間に足を踏み入れた瞬間、私の鼻を突いたのは、高価な葉巻の煙と、幾人もの記者が纏う汗の匂い、そして期待と疑念が入り混じった、あの独特の熱気だった。

演壇の中央には、コロンビア・レコードの社長エドワード・ウォーラースタインが、いかにも自信ありげな面持ちで立っている。しかし、彼よりも先に私の目を奪ったのは、その傍らに積み上げられた異常な光景だった。片側には、これまでの常識であった七十八回転のシェラック盤が、大人の背丈ほどもあろうかという高さ、約八フィートにわたって危うい塔のように積み上げられている。そしてその隣には、わずか十五インチばかりの、薄く、頼りなげなレコードの束が置かれていた。

「紳士淑女の皆さん、今日、音楽の歴史は塗り替えられます」

ウォーラースタインの声が、シャンデリアの輝く天井に反響する。彼が紹介したのは、ハンガリー出身の若き技術者、ピーター・ゴールドマーク博士だ。博士の手には、一枚の黒い円盤が握られていた。それは我々が知っている、落とせば粉々に砕ける重く脆いシェラック盤ではない。ヴィニライトという新素材で作られた、しなやかで、光を吸い込むような艶やかな黒い円盤。それが「LP」、ロング・プレイング・レコードなのだという。

デモンストレーションが始まった。ゴールドマークがその円盤をターンテーブルに乗せ、静かに針を落とした。
広間の静寂を切り裂いたのは、針が溝を擦る不快なノイズではなかった。それは、完全なる沈黙から立ち上がる、あまりにも清冽で、あまりにも深いチャイコフスキーの交響曲第四番の旋律だった。

私は息を呑んだ。これまでのレコードは、長くても四分か五分。交響曲の一楽章すら途切れ途切れに聴かざるを得ず、音楽の興奮が最高潮に達するたびに、我々は椅子から立ち上がり、重い盤を裏返さなければならなかった。針先が奏でるスクラッチノイズは、常に音楽の背後にこびりつく「避けられぬ不純物」だったはずだ。

しかし、このLPはどうだ。針が微細な溝(マイクログルーヴ)をなぞる音さえ聞こえない。一分間に三十三と三分の一回転。その緩やかな回転が、音楽を時間の制約から解放していた。五分が過ぎ、十分が過ぎても、音楽は途切れることなく、大河の流れのように聴衆の感性を浸していく。一楽章が終わっても、誰一人として動こうとしない。拍手すら忘れ、皆、目の前で起きている奇跡に釘付けになっていた。

片面に約二十分。この一枚の裏表で、一つの交響曲が、あるべき姿のままに収められている。それは単なる技術の進歩ではない。音楽という芸術が、ついに「連続性」という魂を取り戻した瞬間だった。

私は手元のノートを握りしめた。ゴールドマーク博士が誇らしげに語る「一インチあたり三百本近い溝」という数字よりも、私の耳が捉えた、ヴァイオリンの繊細なヴィブラートと、管楽器の圧倒的なダイナミズムが、この新時代の到来を何よりも雄弁に物語っていた。

会見が終わり、私は特別にその盤に触れる機会を得た。指先から伝わるヴィニライトの質感は、驚くほど滑らかで、冷ややかだった。この薄い円盤の中に、ベームやワルターのタクトが、そしてオーケストラの全団員の息遣いが、一寸の狂いもなく刻み込まれているのだ。

外に出ると、ニューヨークの喧騒がいつもより耳障りに感じられた。タクシーのクラクション、人々の怒鳴り声、地下鉄の振動。しかし、私の耳の奥では、先ほど聴いたあのノイズのない、澄み渡った静寂からの旋律がまだ鳴り響いている。

今日、私たちは「時間の壁」を打ち破った。音楽はもはや、断片化された記憶の破片ではない。自宅のリビングに居ながらにして、コンサートホールの最前列で、一時間近い夢を途切れることなく見続けることができるようになったのだ。

1948年6月21日。この日は、人類が音を真の意味で「記録」し、「所有」することに成功した日として、永遠に記憶されるだろう。明日の新聞の第一面を飾る言葉を考えながら、私は地下鉄の階段を降りた。私の鞄の中にある古い七十八回転の盤が、不意に、石器時代の遺物のようにひどく重く感じられた。

参考にした出来事
1948年6月21日、アメリカのコロンビア・レコードが、ニューヨークのウォルドルフ=アストリアホテルにて、世界初の長時間再生レコード(LPレコード)を発表した。ピーター・ゴールドマーク率いるチームが開発したこの技術は、従来のSP盤(78回転)に代わり、33 1/3回転の微細な溝を採用することで、片面約20分以上の連続再生を可能にし、クラシック音楽などの鑑賞環境を劇的に変えた。