空想日記

8月2日: リンカーンの眼差し

2026年1月24日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

今朝のニューヨークは、いつにも増して活気に満ちているようだった。まだ太陽が高く昇りきらないうちに店を開け、ショーウィンドウの埃を拭き取る。ガラスの向こう、まだ人影もまばらな5番街を行き交う馬車の蹄の音が、石畳に乾いた音を響かせ、やがて遠ざかる。路面電車が軋みを上げて曲がり角を過ぎ去る度、真鍮製のベルがチリンチリンと陽気に鳴り響く。今日は珍しく、朝から何となく胸騒ぎがしていた。

日が高くなり、店先にはひっきりなしに客が訪れるようになる。コーヒー豆を買い求める主婦、新聞と煙草を急ぐビジネスマン、飴玉をねだる子供たち。その喧騒の中で、いつものように釣銭を用意していた私の手に、不慣れな感触が伝わった。

「おや、これは珍しい」

そう呟いたのは、いつも朝早くに訪れる、顔なじみの郵便配達夫だった。彼は一束の郵便物をカウンターに置き、煙草を一本と、それに合うマッチを求めた。彼が差し出したのは、いつもの茶色の大きなセント硬貨ではなく、今まで見たことのない、しかしどこか見覚えのある顔が刻まれた、銅色の新しい硬貨だった。

「先生、これをご存じで?今朝から出回り始めたらしいですよ」

彼の指差す硬貨を、私は思わず手に取った。ずっしりとした重みは変わらないが、表面の輝きが違う。そして何よりも、そこに刻まれた人物の肖像に、私は息を呑んだ。アブラハム・リンカーン。あの、内乱の渦中、国の分断を食い止め、奴隷に自由を与えた偉大な大統領の横顔が、硬貨の表側を堂々と飾っているではないか。細部まで精緻に彫り込まれたその横顔は、生誕百周年を祝うかのように、静かながらも力強い眼差しで遠くを見つめている。額の皺、口元の固い意志、全てが見事に再現されている。

裏面に目をやると、二本の麦の穂がそのデザインを囲み、中央には「ONE CENT UNITED STATES OF AMERICA」と刻まれている。これまで見慣れた盾のデザインとは全く異なる、簡素でありながらも気品を感じさせる意匠だ。デザイナーの名であろうか、「V.D.B.」という小さなイニシャルが刻まれているのが見えた。

「ああ、なるほど。これは、その…リンカーン大統領の生誕百周年を記念して発行されたものですね。事前に新聞記事で読んではおりましたが、まさか今日、この店で初めて目にすることになるとは」

私は興奮を隠せないまま、郵便配達夫に言葉を返した。彼はにこやかに頷き、新しい煙草に火をつけた。
「ええ、街中がこの話で持ち切りですよ。何しろ、大統領の顔が硬貨になるなんて、初めてのことですからね。ワシントン大統領やジェファーソン大統領は紙幣にこそなりましたが、硬貨は自由の女神やインディアンの顔ばかりでしたから」

確かに彼の言う通りだ。これまでのセント硬貨には、伝統的な寓意像やネイティブアメリカンの肖像が描かれていた。それが、実在した、しかもつい半世紀ほど前の大統領の顔に変わったのだ。これは単なる貨幣の刷新ではない。国の歴史と、その礎を築いた人物への、国家としての明確な敬意の表明だろう。

その後も、店を訪れる客は次々と新しい硬貨について口にした。
「奥さん、ご存じですかい?新しいセント硬貨、リンカーンさんの顔ですよ!」
「ええ、新聞で読みましたわ。でも、実際に手に取るのは初めて。まぁ、なんて立派な…」
人々は皆、硬貨を掌で転がし、そのデザインをまじまじと見つめては、感嘆の声を上げた。中には、「これは記念に取っておこう」と言って、急いで別の硬貨に替える客もいた。

私もまた、今日初めて手にしたリンカーン・ペニーを、レジの抽斗の奥にそっと仕舞い込んだ。この小さな銅色の円盤は、単なる貨幣以上の意味を持っているように思えた。かつて、南北の対立で引き裂かれそうになったこの国を、その深い知恵と強靭な意志で束ね直したリンカーン大統領。彼の視線は、未来の世代へと、変わらぬアメリカの理想を語りかけているようだ。

日暮れ時、店の明かりを落とし、疲れた体に鞭打って今日の売り上げを計算する。夥しい数のセント硬貨の中に、あのリンカーン・ペニーがいくつも混じっていた。その一つを改めて指でなぞる。ひんやりとした金属の感触と、ザラリとした彫刻の隆起が、手のひらに確かな存在感を伝える。

この硬貨が、これから何十年、何百年と、この広大な大陸のあちこちで、人々の手から手へと渡っていくのだろう。それは、まるで彼の精神が、人々の日常の中に、静かに、しかし力強く生き続ける証のようだ。私はそっと硬貨を日記帳の間に挟み、明日への希望を胸に、鉛筆を置いた。

1909年8月2日: アメリカで最初の「リンカーン・ペニー(1セント硬貨)」が発行
アブラハム・リンカーン生誕100周年を記念して発行された1セント硬貨。これはアメリカ史上初めて、実在した人物の肖像が一般流通硬貨に採用された事例であり、それまでの自由の女神やインディアンの顔のデザインから大きな転換となった。この硬貨のデザインはヴィクター・デイヴィッド・ブレナー(Victor David Brenner)が手掛けた。