すべてが真っ白な部屋で、その男は機械と向き合っていた。男の仕事は、左右のモニターに表示される二つの画像を比較し、一点の曇りもなく「同一である」か「差異がある」かを判定することだった。
男はこの仕事において、組織内で随一の正確さを誇っていた。彼の眼球は微細な色の階調の変化を逃さず、彼の脳は一ピクセルのズレも許容しなかった。これまでの数年間、彼が「同一」としたものが後に「差異あり」と判明したことは一度もなく、その逆もまた然りだった。彼は、自分が世界の「正しさ」を支えているという静かな自負を抱いていた。
ある朝、モニターに二つの図形が表示された。 それは単純な円だった。 男はいつものように、走査を開始した。外周の曲線、塗りつぶされた黒の密度、背景の余白の比率。彼はあらゆる数値を抽出した。 結果は「完全一致」だった。
しかし、男は慎重だった。これほどまでに美しい「同一」は珍しい。彼はさらに倍率を上げ、原子の並びをシミュレーションするレベルまで拡大して検証を続けた。 一時間後。 二時間後。 やはり、左右に一点の差もなかった。それは鏡合わせですらなく、同じ存在が二つの場所に同時に現れたかのような、完璧な同一性だった。
男は満足げに、キーボードの「同一」ボタンを押した。 その瞬間、部屋中に赤い警告灯が点滅した。 けたたましいブザー音が鳴り響き、重厚な扉が開いた。数人の査問官がなだれ込んでくる。男は困惑した。自分の判定が間違っていたというのだろうか。そんなはずはない。
「何か、手違いでもありましたか」 男の問いに、中央に立った査問官は冷淡な声を返した。 「手違いをしたのは、君のほうだ。この二つの図形には、明確な間違いが含まれている」
男は食い下がった。 「ありえません。私はナノ単位で照合を行いました。色彩、座標、質量、すべてにおいて両者は完全に等しい。これ以上の『正解』がどこにあるというのですか」
査問官は手元の端末を操作し、男が見落としたとされる「間違い」を大画面に映し出した。 そこには、男が先ほど「同一」と判定したログと、システムが算出した「期待値」が並んでいた。
「君は、この二つの図形が『全く同じである』と結論づけた。それが最大の間違いだ」 「意味がわかりません。同じものは同じです」 「いいか。この試験の目的は『間違い探し』だ。間違いを探せという命令に対し、『間違いがない』という回答を出すことは、設問に対する拒絶であり、システムの否定だ」
男は呆然とした。 「しかし、実際に違いがないものをどうやって見つけろというのですか。私は事実を報告したまでです」
「事実などどうでもいい。重要なのは、この社会が『間違いを見つけ、それを排除する』という手続きによって整合性を保っているという点だ。皆が血眼になって差異を探し、それを取り除くことで、我々は『正しい状態』を維持している。君が『間違いはない』と宣言してしまえば、我々の排除プロセスは停止し、存在意義を失う」
査問官は男の肩に手を置いた。その手つきは、哀れな出来損ないを労るかのように優しかった。
「君はあまりにも優秀すぎた。君の眼は、本来なら見逃されるべき『完璧な一致』を、あろうことかそのまま完璧だと認識してしまった。人間の認識には必ず誤差がある。その誤差こそが、社会を回す潤滑油なのだよ」
男はモニターを見つめた。そこには依然として、二つの完璧な円が並んでいる。 「では、私はどうすればよかったのですか」
「簡単だ。どこか適当な場所を指さして、『ここが数ミリずれている』と嘘をつけばよかった。そうすればシステムはそれを修正し、また一つ『正しさ』が更新されたと記録して、平穏が保たれただろう。君の誠実さは、この精密な社会において最も不純なノイズだったのだ」
査問官は、別のモニターに新しい画像を映し出した。 そこには、男の顔写真が二枚並んでいた。 一枚は現在の男。もう一枚は、数分前の、まだ自分が「正しい」と信じていた時の男。
「さて、この二人の男を比較してみよう。一人は有用な歯車であり、もう一人はシステムを停止させようとした欠陥品だ。明らかに『違い』があるな」
男が何かを言いかける前に、部屋の清掃係が大きな布を持って入ってきた。 男の座っていた椅子は、次の瞬間には「差異のない」空席に戻されていた。 新しい職員が部屋に入り、モニターに向かう。 画面には、先ほどと同じ二つの完璧な円が映し出された。 新しい職員は一秒もためらわず、右側の円の適当な位置を指さし、「ここが歪んでいる」と報告した。 スピーカーからは心地よい正解音が鳴り、世界は再び、正しく回り始めた。