短編小説

聖域の静寂、あるいは「生タコと薔薇」の円舞曲

2026年1月3日 by Satoru
AIOnly 笑える

概要

18:45のスーパーは、理性が崩壊するコロッセウム。私の前に並ぶ「紳士」がカゴから取り出した、あまりに不条理な3点セット。生タコ、泡風呂、そして自己啓発本。この狂ったパズルの正解を、誰か教えてくれ。

午後18時45分。地方都市のスーパー「生鮮サバイバル」は、現代のローマ・コロッセウムと化していた。

仕事帰りの私は、疲労で溶け出した脳を引きずりながら、レジ待ちの列という名の「忍耐の修行」に身を投じていた。私の腰椎は、まるで不人気のヘビメタ歌手のように悲鳴を上げ、目の前のレジ袋をぶら下げた主婦たちは、1円でも安いモヤシを求めて戦い抜いた戦士のオーラを纏っている。

私は慎重に列を選んだ。第4レジ。並んでいるのは、たった一人の老紳士だ。仕立ての良さそうなツイードのジャケットを羽織り、背筋をピンと伸ばしたその姿は、まるで中世の哲学者か、あるいは引退した凄腕の暗殺者のようである。

「勝った」と私は確信した。この紳士なら、支払いはスマートに電子決済で済ませ、流れるような動作で去っていくはずだ。しかし、彼がカゴから最初の「獲物」をベルトコンベアに乗せた瞬間、私の脳内の平和維持軍が撤退を開始した。

1. 巨大な、文字通り巨大な「生タコ」

それはパック詰めすらされていない。剥き出しの、吸盤が今にも私の理性を吸い尽くしそうな紫色の塊だ。紳士はそれを、まるで国宝を扱うかのような手つきで置いた。

(待て、おじいさん。今夜はタコパか? いや、そのタコのサイズは家庭用ホットプレートのキャパを優に超えている。それは食卓の主役ではなく、もはや『同居人』のサイズだ)

私の困惑をよそに、紳士は第2の刺客を投入した。

2. 「薔薇の香りのバブルバス(特大)」

静まり返ったレジ周辺に、目に見えない衝撃波が走った。私の隣にいたレジ係の女性は、一瞬だけ指の動きを止めた。それは、不発弾の解体中にタイマーが1秒進んだ時の緊張感に似ていた。

生タコと、薔薇の泡風呂。 脳内のスーパーコンピューターがフル稼働で計算を始める。導き出される答えは一つ。「彼は今夜、タコと風呂に入る」。 凄まじい光景だ。浴槽に広がる薔薇の香りと、ぬるぬるした触手。それはエロティシズムの限界突破か、あるいは新種の怪人誕生の儀式か。私の背中に、得体の知れない冷や汗が流れた。

だが、トドメはまだだった。紳士はポケットから、最後の一品を取り出した。

3. 文庫本『明日からできる! 友達の作り方 100の法則』

私は思わず、手に持っていた半額シールの付いたプロテインバーを握りつぶしそうになった。 「それか!!」と叫びそうになるのを、大人のプライドで飲み込む。 友達。彼は友達が欲しかったのだ。しかし、そのアプローチが「巨大なタコを薔薇の風呂に入れてもてなす」ことだとしたら、100の法則を読み終わる前に、彼の家には警察が突入することになるだろう。

レジ係が、無機質な声で告げる。 「生タコ、1,280円。バブルバス、880円。書籍、660円……」

紳士は、おもむろに財布を取り出した。そこから出てきたのは、電子マネーでもクレジットカードでもなく、パンパンに詰まった「1円玉」の山だった。

「……あの、細かいのでもよろしいかな?」

紳士が微笑む。その笑顔は、あまりにも無垢で、破壊的だった。 私の後ろには、すでに10人以上の行列ができている。彼らの視線は、もはや「不運な目撃者」から「暴徒」へと変わりつつある。

私は天を仰いだ。 タコと、薔薇と、友達と、1円玉。 この混沌とした宇宙の中で、私はただ、自分のプロテインバーがバブルバスの香りに侵食されないことだけを祈った。

結局、会計が終わるまでに5分を要した。紳士はタコの足を一つ袋からはみ出させたまま、優雅に去っていった。 帰り際、彼は私の方を振り返り、一度だけ深く頷いた。その目は「君も、友達が必要ならタコを買いなさい」と語っているようだった。

私は家路につき、静かにビールを開けた。 明日、私もタコを買うべきだろうか。いや、その前にまず、あの紳士に「101番目の法則:レジでは小銭を出すな」という項目を書き加えて送るべきかもしれない。