【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
一九二二年、一月十一日。トロントの空は、厚く垂れ込めた鉛色の雲に覆われている。窓の外では、オンタリオ湖から吹き付ける凍てつくような地吹雪が、病院の煉瓦壁を容赦なく叩いている。窓枠の隙間から忍び寄る冷気が、消毒液と石炭の匂いが混じり合う病棟の空気をいっそう冷たく研ぎ澄ましていた。
私は今、トロント総合病院の第一病棟、その片隅にある少年のベッドの傍らに立っている。
レオナード・トンプソン。わずか十四歳のこの少年は、もはや生きた人間というよりは、薄い皮膚を骨格に貼り付けただけの痛々しい彫像のようだ。体重は六十五ポンド(約二十九キログラム)にまで落ち込み、深く落ち窪んだ眼窩の奥には、生への執着さえも消え入らんとする微かな光が宿るのみ。彼の口からは、糖尿病患者特有の、あの腐りかけたリンゴのような甘ったるいアセトン臭が漂っている。それは我々医師にとって、死の接近を告げる忌まわしき香りに他ならない。
これまで、この病に対する唯一の処方箋は「飢餓療法」という名の、緩やかな死の宣告であった。一日の摂取カロリーを極限まで抑え、骨と皮になるまで飢えさせることで、尿から糖が溢れ出すのを辛うじて遅らせる。しかし、それは結末をわずかに先延ばしにするだけの残酷な儀式に過ぎない。レオナードの父親の、すがりつくような、それでいて絶望に打ちひしがれた眼差しを見るたびに、医学の無力さが喉元まで苦くせり上がってくる。
午後、病棟の重い扉が開いた。入ってきたのは、フレデリック・バンティング医師と、学生のチャールズ・ベストだ。バンティングの顔には、極度の緊張と不眠が刻まれている。彼の手には、小さなガラスの注射器と、濁った褐色の液体が満たされた瓶が握られていた。
「これが、イヌリンだ」
バンティングが低く、震える声で呟いた。トロント大学のマクラウド教授の指導のもと、彼らが犬の膵臓から抽出したという「膵臓エキス」。それはまだ純度も低く、およそ洗練された薬品とは言い難い、泥水のような不気味な色をしていた。果たして、この得体の知れない液体が、死の淵に立つ少年を救うのか。それとも、これがとどめの一撃となるのか。同席した同僚たちの間にも、重苦しい沈黙が広がった。
レオナードの臀部に、アルコール綿が当てられる。カサカサに乾いた、弾力の一切失われた皮膚。ベストが少年の細い腕を優しく抑え、バンティングが慎重に針を突き立てた。合計十五ccの液体が、ゆっくりと、少年の体内に流し込まれていく。レオナードは呻き声一つ上げなかった。ただ、弱々しく瞬きを繰り返すだけだった。
注入が終わると、私たちは祈るような心地で、彼の容態を監視し始めた。
正直に記せば、劇的な変化がすぐに訪れたわけではない。それどころか、注入部位の周囲は赤く腫れ上がり、不純物による無菌性膿瘍の兆候さえ見え始めている。それでも、夕刻に行われた検査の結果、信じがたい事実が判明した。彼の血糖値が、注入前の四百四十ミリグラムから、三百二十ミリグラムへと低下したのだ。尿糖の排出量も、わずかながら減少を見せている。
これが何を意味するのか、まだ確信を持って語ることはできない。しかし、数千年にわたって人類を蹂躙し、若き命を容赦なく奪い続けてきたこの「甘い死神」に対し、私たちは初めて、一矢を報いたのではないだろうか。
夜が更け、レオナードは浅い眠りについている。彼の胸の上下は、昼間よりも幾分か安定しているように見える。バンティングとベストは、さらに純度を高めたエキスの精製に着手するため、再び研究室へと戻っていった。
明日の朝、レオナードが目を開けた時、彼の目に映る景色が今日とは違うものであることを願わずにはいられない。この冷たい一月の雪の夜が、医学の歴史を、そして何百万という絶望した患者たちの運命を根底から覆す、聖なる転換点であったと、後世の人々が語り継ぐ日が来ることを。
ペンを置く私の手は、寒さのせいか、それとも未だ消えぬ興奮のせいか、微かに震えている。
参考にした出来事:1922年1月11日、カナダのトロント総合病院にて、フレデリック・バンティングとチャールズ・ベストらが開発した膵臓抽出エキス(後のインスリン)が、14歳の糖尿病患者レオナード・トンプソンに世界で初めて投与された。初回投与時は不純物による副作用が見られたが、その後の改良を経て劇的な治療効果を証明し、それまで死病であった糖尿病治療における歴史的な転換点となった。