【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『春琴抄』(谷崎潤一郎) × 『オペラ座の怪人』(ガストン・ルルー)
その劇場の地下第四層、湿った粘土質の闇が支配する深淵に、地上では決して鳴らされることのない調べが棲息していた。帝都の華やかな夜を彩る大歌劇場の、絢爛たるシャンデリアの真下、数百尺の岩盤を隔てた奈落に、その「音」の主は幽閉されていた。否、幽閉という言葉は正確ではない。彼女――春乃(はるの)にとって、この絶対的な暗黒こそが唯一の領土であり、光の届く地上こそが、不純な雑音に満ちた流刑地であったからだ。
春乃は、その稀代の美貌を失うことなく、ただ視力のみを神に返上した天才的な琴の奏者であった。彼女の指先が絹糸を弾くとき、それはもはや音楽ではなく、聴く者の鼓膜を裂き、血管を逆流させる魔術の儀式へと昇華した。彼女を盲目にしたのは幼少期の病であったと言われているが、劇場の裏側で囁かれる噂は、より凄惨な真実を示唆していた。彼女の天賦の才を独占せんとした「彼」が、毒を以て彼女の瞳の光を奪い、闇の奥底へと連れ去ったのだと。
その「彼」こそが、この地下宮殿の建築家であり、春乃の唯一の僕であり、そして彼女の冷酷な師でもある、凌(りょう)という名の男であった。
凌の姿を正視できる者は、この世には存在しなかった。彼の顔面は、かつて火災による熱風に晒されたのか、あるいは生来の呪いか、沸騰した泥が凝固したような、名状しがたい醜悪な肉塊に覆われていた。彼は常に、滑らかな白磁の仮面を被り、黒いマントでその歪な肢体を包んでいた。彼は劇場の構造を、血管の配置を覚える解剖学者の如く熟知し、壁の隙間、通気口の裏側、舞台装置の影に潜んでいた。地上の人々は彼を「鏡の亡霊」と呼び、恐れたが、彼にとって唯一の現実は、地下の静寂の中で春乃に仕えること、それだけであった。
二人の関係は、極めて歪な、しかし強固な均衡の上に成り立っていた。春乃は盲目であるゆえに、凌の醜さを知らなかった。彼女にとっての凌は、ただ己の爪を研ぎ、弦を張り替え、贅を尽くした食事を運び、そして時として、過酷なまでの「稽古」を強いる、冷徹な意志そのものであった。
「春乃、今の音には濁りがある。指先の震えが、お前の心の迷いを鏡のように映し出しているぞ」
凌の、深淵から響くような掠れた声が、石造りの密室に反響する。彼は春乃の背後に立ち、その細く白い指の上に、自らの節くれ立った、火傷の痕も生々しい手を重ねる。春乃は、その手の主がどれほど恐ろしい相貌をしているかを知る由もない。ただ、彼の皮膚から伝わる微かな熱、そして容赦のない力の加減に、ある種の倒錯した愉悦を感じていた。
「申し訳ございません、凌様。暗闇の底が、少しだけ深くなったような気がしたものですから」
春乃の返答は常に慎ましく、それでいて傲慢な響きを孕んでいた。彼女は自らの美しさと、凌が自分なしでは生きていけないという事実を、本能的に理解していた。彼女にとっての凌は、己の芸術を完成させるための「生ける楽器の一部」であり、あるいは、この闇を統治するための杖に過ぎなかった。
凌の指導は、日に日に苛烈を極めた。春乃が僅かでも旋律を乱せば、彼は細い竹の鞭で彼女の項を打った。彼女が苦痛に喘ぐたび、その悲鳴は地下の回廊を駆け巡り、地上で演じられる華美なオペラのアリアと、皮肉な不協和音を奏でた。しかし、春乃はその痛みを、自らの芸術が神の領域へ到達するための「洗礼」として受け入れていた。痛みこそが、光を失った彼女にとって、この世界との唯一の確かな接触であったからだ。
ある夜、劇場の若きパトロンであり、かつて春乃に恋慕していた子爵・千秋(ちあき)が、禁断の地下へと足を踏み入れた。彼は行方不明となった彼女を救い出すべく、迷宮のような回廊を彷徨い、ついに鏡に隠された扉を見つけ出したのである。
千秋が目にした光景は、彼の想像を絶するものであった。銀の燭台が怪しく揺らめく部屋で、春乃は一糸纏わぬ姿で琴に向かっていた。彼女の白い背中には、無数の赤紫色の鞭の痕が、まるで未知の楽譜のように刻まれていた。そしてその背後には、仮面を脱ぎ捨てた凌が、その異形を曝け出しながら、恍惚とした表情で彼女の奏でる音に耳を傾けていた。
「春乃! こんな地獄から今すぐ連れ出してやる!」
千秋の叫びが静寂を破った。彼は凌に向かって銃口を向けた。だが、春乃は演奏を止めなかった。彼女はただ、見えない瞳を千秋のいる方角に向け、冷笑を浮かべた。
「地獄? 千秋様、あなたは何も分かっておられない。ここには、光の中にいる人々が決して見ることのできない、純粋な色があるのです」
凌は動じなかった。彼はただ、ゆっくりと春乃の傍らに膝を屈し、その耳元で囁いた。
「春乃、この男は、お前の美しさを見ているに過ぎない。私は、お前の『音』そのものになっている。どちらが真の奉仕者か、お前には分かるはずだ」
千秋の放った銃弾は、凌の肩を貫いた。鮮血が春乃の白い肌に飛び散る。しかし、彼女はその血の熱さを、何よりも愛おしい口付けのように感じた。彼女は琴の弦を、今までで最も激しく、最も残酷な力で掻き鳴らした。その瞬間、劇場のシャンデリアを支えていた地下の支柱が、共鳴によって微かに震え始めた。
凌は笑った。その顔は醜悪を極めていたが、その瞬間、彼はこの世の誰よりも美しく、何かに到達していた。彼は自らの設計した崩落装置のレバーに手をかけた。
「さあ、完成だ。春乃。私たちの楽園を、永遠の沈黙で封印しよう」
轟音と共に、天井が崩れ始めた。千秋は逃げ場を失い、押し寄せる瓦礫の下敷きとなった。しかし、春乃と凌は動かなかった。崩れ落ちる岩石の中で、二人は互いの存在を、肉体を超越した「共鳴」として確信していた。
後日、劇場の瓦礫の下から発見されたのは、抱き合うようにして絶命した二つの遺体であった。一人は、目を疑うほどに美しい盲目の女性。もう一人は、人の形を留めていないほどに損壊した異形の男。だが、奇妙なことに、調査に当たった人々は皆、その凄惨な死に顔に、ある種の神々しさを見たという。
そして、最も不可解な事実は、春乃の指先にあった。彼女の指の腹は、長年の演奏によって削れ、骨が露出していたが、その骨には、微細な溝が刻まれていたのだ。それは凌が彼女の体に刻み続けた鞭の痕と、完璧に一致する旋律であった。
皮肉なことに、春乃が追い求めた究極の音楽は、彼女自身の肉体が破壊されることによってのみ完成する設計になっていたのである。凌は、彼女を愛したのではない。彼は、彼女という最高級の素材を用いて、死をもって完結する「絶響」を建築したのだ。
地上の人々は、再び劇場の再建を始めた。だが、新しい舞台の地下に降りようとする者は誰もいない。今でも、静まり返った夜の劇場で、耳を澄ませば聞こえてくるという。それは、光を拒絶した者たちだけが共有する、残酷なまでに美しい、硝子の擦れ合うような笑い声である。