【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『青い鳥』(メーテルリンク) × 『地獄変』(芥川龍之介)
今やその名を口にすることさえ、ある種の禁忌に触れるような心地がする。堀川の御所がまだ、この世の極楽と謳われていた頃、そこには一人の絵師がいた。名は良秀という。もっとも、世間に流布しているあの凄惨な「地獄変」を描き上げた男とは、同名ではあるが、魂のありようが幾分か異なっていた。この良秀が執着したのは、奈落の業火ではなく、この世のどこにも存在せぬと云われる、至純の「青」であった。
時の大殿は、その気まぐれなまでの審美眼を満足させるため、良秀に一つの命を下された。
「この世のあらゆる幸福を凝縮したような、天上の『青い鳥』を屏風に描き出せ。もし成らねば、お前が唯一慈しんでいる娘を、極楽の鳥の餌食として差し出せ」
大殿の口元には、春の陽光のような柔和さと、冬の剃刀のような鋭さが同居していた。良秀は、ただでさえ不気味な痩身をさらに折り曲げ、額を畳に擦りつけた。彼の眼窩の奥では、すでに実在しない青い影が、幻肢痛のように疼いていたのである。
良秀は、それからというもの、狂人の如く「青」を求めた。
彼はまず、墓地へと赴いた。死者たちが抱きしめて離さない、忘却の淵に沈んだ「過去の青」を採取するためである。夜霧の立ち込める墓原で、彼は土を掘り返し、朽ち果てた髑髏の眼窩に溜まった露を啜った。しかし、それらは屏風に触れた途端、卑俗な灰色へと変色した。思い出という名の青は、空気に触れれば即座に酸化する、極めて脆い幻に過ぎなかったのである。
次に彼は、まだ産声さえ上げていない赤子の夢を覗き見た。そこには「未来の青」が溢れているはずであった。良秀は、妊婦の腹に耳を押し当て、未生の世界の響きを筆に乗せようとした。だが、その筆先から滴ったのは、あまりにも薄っぺらな、希望という名の毒々しいまでの原色であった。それは大殿が求める「至高の幸福」を象徴するには、あまりにも深みに欠けていた。
「違う、これではない。これではただの絵の具だ」
良秀の呻きは、夜ごとに屋敷の壁を這い回った。彼の娘は、父の狂気に怯えながらも、その献身的な愛ゆえに、自らの血を薄めて墨に混ぜることさえ厭わなかった。娘の肌は日に日に透き通り、その血管の青さだけが、良秀の狂った眼には唯一の真実に映るようになっていった。
三月が過ぎた頃、大殿は痺れを切らし、良秀を御所の広間に召し出した。そこには、金箔の貼られた巨大な二曲一双の屏風が置かれていた。
「良秀、鳥はどこにいる。その屏風には、いまだ虚空しか描かれておらぬではないか」
大殿の問いに、良秀は薄笑いを浮かべた。その目は、すでにこの世の光を拒絶していた。
「殿下、青い鳥は捕らえようとすれば逃げ、飼い慣らそうとすれば死ぬものにございます。真の青を描くには、命がその極致において、自らを焼き尽くす瞬間の輝きを定着させるほかございませぬ」
良秀は、ある条件を提示した。それは、一羽の美しい小鳥を、銀の籠に入れ、それを地上で最も幸福な人間と共に、特製の窯の中で燻り上げるというものであった。
「幸福の絶頂にある者が、その幸福を奪われる瞬間に放つ、魂の断末魔。それこそが、私が求める究極の青い顔料となります」
大殿は、その残酷なまでの論理に歓喜した。彼は、良秀の娘をその「幸福な人間」に指名したのである。なぜなら、娘にとっての幸福とは父の芸術が完成することであり、その完成のために命を捧げることこそが、彼女にとっての至福であると見抜いていたからだ。
処刑の日、御所の庭には巨大な窯が据えられた。
中には、白衣を纏った娘と、一羽の平凡な灰色の鳥が閉じ込められた。良秀は、その光景を、瞬き一つせずに見つめていた。火が放たれると、熱気と共に、娘の澄んだ歌声が漏れ聞こえてきた。彼女は、死を目前にして、父の夢が叶うことを祝う賛美歌を口ずさんでいたのである。
やがて、窯の中から形容しがたい絶叫が響き渡った。それは苦痛というよりは、あまりにも巨大な法悦に曝された魂が、その器を破壊される時に発するような、鋭利な音色であった。その瞬間、良秀は狂ったように筆を動かした。彼は火の粉を浴び、衣服が焦げるのも構わず、屏風の虚空に、窯から立ち上る「煙」を描き始めた。
不思議なことが起こった。窯の隙間から溢れ出したのは、どす黒い煤煙ではなく、この世のものとは思えぬほど鮮烈な、深く、そしてあまりにも透明な「青い光」であった。その光が屏風に触れると、そこには一羽の鳥が、生きて羽ばたいているかのような生々しさで浮かび上がった。
大殿も、居並ぶ公卿たちも、そのあまりの美しさに息を呑んだ。その青は、空よりも深く、海よりも静かで、見る者の心を根底から浄化し、同時に永遠の絶望へと突き落とすような、絶対的な引力を持っていた。良秀は描き終えると同時に、筆を投げ捨て、大地に倒れ伏した。
翌朝、良秀は自室で首を吊って果てた。
その顔は、地獄を見た者の苦悶ではなく、何一つとして手に入れられなかった者の、空虚な平穏に満ちていたという。
さて、物語には皮肉な後日談がある。
大殿は、完成した「青い鳥」の屏風を、終生手放さなかった。しかし、その屏風を眺める者は皆、次第に奇妙な病に冒されていった。その青を見つめれば見つめるほど、現実の世界の色が褪せ、何を食しても味がせず、誰を愛しても温もりを感じられなくなるのである。
なぜなら、良秀が描き出したのは「幸福」そのものではなかった。彼は、幸福という幻想が、死と苦痛という残酷な代償によってのみ成立するという、この世の冷徹な構造をそのまま定着させてしまったのだ。
人々が追い求めた青い鳥は、屏風の中で永遠に美しく輝き続けている。しかし、それを手に入れたと思った瞬間、観る者は気づくのである。真の幸福とは、それが「手の届かない場所にある」という一点においてのみ成立していたのだということに。
屏風の中の鳥は、今も青い。
だが、その翼の下には、それを描くために焼かれた娘の、灰のような沈黙が堆積している。そして、その青を美しいと感じる心こそが、何よりも残酷な「地獄」であるということを、誰も指摘しようとはしなかった。