【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
ブラバントの湿った風が、牧師館の厚い石壁を叩いている。まだ春とは名ばかりの、肌を刺すような冷気を含んだ風だ。窓の外に広がるグルート・ズンデルトの平原は、冬の残照を引きずったような鈍色に沈み、低く垂れ込めた雲が重く湿原を覆っている。暖炉のなかで爆ぜる泥炭の音が、静まり返った家の中に妙に大きく響いていた。
私は書斎の机に座り、ただ無心に祈りの言葉を反芻していた。一年前の今日、この同じ日に、私たちは最初の息子を失った。冷たく、一度も泣くことのなかったあの赤子。私たちはその子に「フィンセント」という名を授け、教会の墓地に葬った。あれからちょうど一年。神の差配とは、時にあまりに厳格で、理解しがたい沈黙を私たちに強いる。庭の向こうにある教会の墓地には、今もあの小さな墓石が、冷たい雨に打たれているはずだ。
寝室から漏れ聞こえてくる妻アンナの喘ぎ声が、風の音を切り裂いた。それは苦痛の叫びであると同時に、生を掴み取ろうとする凄まじい意志の奔流でもあった。産婆の忙しげな足音と、お湯の沸く微かな音が、死の影を追い払おうとするかのように家の中に満ちていく。私は聖書を閉じ、組んだ指の節々が白くなるほど強く握りしめた。神よ、どうか、今日こそは。
どれほどの時間が過ぎただろうか。突然、それまでの騒がしさが嘘のような、深い静寂が訪れた。心臓の鼓動が耳元で鐘のように鳴り響く。その直後だった。
壁を突き抜け、北風を退けるような、力強く、鋭い泣き声が響き渡った。
私は立ち上がり、よろめくように寝室の扉へ向かった。部屋の中は汗と血の匂い、そして言いようのない生命の熱気に満ちていた。産婆に抱かれたその小さな塊は、真っ赤な顔をして、この世の不条理をすべて撥ね除けるかのように叫び続けていた。アンナは疲れ果て、蒼白な顔をしながらも、その瞳には慈愛の光が宿っている。
「男の子ですよ、牧師様」
産婆が差し出したその子を、私は震える手で受け止めた。驚くほど重い。去年のあの子とは違う、確かな命の重みだ。産着の隙間から覗く頭には、驚くほど鮮やかな、燃えるような赤毛が張り付いていた。そして、私を射抜くように開かれたその瞳。まだ何も映してはいないはずなのに、その眼差しには、この世の光をすべて飲み込もうとするような、異様なまでの激しさが潜んでいるように思えた。
「この子の名は……」
アンナが掠れた声で呟く。私は頷き、あえてその名を口にした。
「フィンセント。フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホだ」
一年前、土に還した息子と同じ名。墓石に刻まれた名と同じ名。それは残酷な継承かもしれない。しかし、この子は今日、あの子が眠る同じ土壌から、力強く芽吹いたのだ。教会の墓地に眠る「最初のフィンセント」が、この子のなかに息を吹き返したのか、あるいは、あの子の果たせなかった生をこの子が背負う運命にあるのか。
私は窓を開けた。冷たい風が部屋に流れ込み、赤子の産声と混ざり合う。外では、黒々とした大地が雨に打たれ、春の訪れをじっと耐え忍んでいた。このブラバントの泥臭い土、湿った空気、そして低く垂れ込めた空。この子がこれから見るであろう景色は、常にこの厳格な自然と共にあるだろう。
この子は、何を見るのだろうか。この激しい瞳で、世界をどのように捉え、どのように生きていくのだろうか。私にわかるのは、この子が神から与えられた特別な火種を、その身に宿しているということだけだ。それが聖なる光となるか、すべてを焼き尽くす業火となるかは、まだ誰にもわからない。
赤ん坊は泣き止み、深い眠りに落ちていた。私はその小さな額に祝福の口づけをし、再び窓の外の暗い平原を眺めた。3月30日。死と生が交差するこの日に、新しいフィンセントが誕生した。遠くの教会で、時を告げる鐘の音が風に乗って聞こえてきた。それは弔いの鐘ではなく、新たな巡礼の始まりを告げる音のように、私の胸に響いた。
参考にした出来事:1853年3月30日、オランダ南部のグルート・ズンデルトにて、画家フィンセント・ファン・ゴッホが誕生。奇しくもそのちょうど一年前に死産となった兄も同名(フィンセント)であり、同じ誕生日であった。この事実は、後に彼の精神構造や自己アイデンティティに大きな影響を与えたと考えられている。