【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『変身』(カフカ) × 『わが輩は犬である』(小山内薫)
吾輩は犬である。と言っても、昨日今日に始まった話ではない。昨日の朝、不条理な目覚めと共に、この毛むくじゃらの四肢と、湿った鼻先、そして言葉を失った喉を授かったのである。それまでは、都心の商社で帳簿と格闘し、上役の機嫌を伺い、家族の生計を一身に背負う「模範的な人間」であったはずだが、今やこの冷え切った板の間に腹をつけ、己の尾の行方を追うことすらままならぬ、矮小な四肢動物に過ぎない。
目覚めた直後の絶望は、むしろ静かなものであった。枕元で鳴り響く目覚まし時計を止めようと伸ばした手は、爪の鋭い肉球へと変貌しており、それは機械のボタンを押す代わりに、無機質な絨毯を虚しく掻いた。吾輩は困惑した。七時十五分の汽車に乗らねば、部長の叱責が待っている。しかし、鏡に映った己の姿は、血統の定かでない、薄汚れた雑種のそれであった。首のあたりにたるんだ皮膚、情けなく垂れ下がった耳。人間としての尊厳は、昨夜の眠りの淵で、跡形もなく削ぎ落とされたようである。
扉の向こうでは、母の呼ぶ声がした。いつもと変わらぬ、しかしどこか事務的な響きを含んだその声が、今は鼓膜を震わせる単なる音波として、吾輩の動物的な聴覚に刺さる。返事をしようと口を開けば、発せられたのは「承知いたしました」という言葉ではなく、乾いた、それでいて哀切な咆哮であった。その瞬間、家の中の空気が凝固したのを、吾輩は鼻腔の奥で感じ取った。恐怖と、戸惑いと、それから微かな、しかし決定的な嫌悪の匂いだ。
父が部屋の扉を荒々しく叩いた。彼にとって、息子が勤勉な稼ぎ手であることは生存の前提条件であったが、扉の中にいるのが言葉を解さぬ獣であるという事実は、家庭という精緻な歯車に対する冒涜に他ならなかった。父は扉を押し開け、そこに蹲る吾輩を見るや否や、怒りとも嘆きともつかぬ声を上げ、手近にあったステッキを振り上げた。かつて慈愛を注いだはずの息子を、彼は今や、家系という清潔な庭を汚す泥まみれの侵入者として認識したのである。
吾輩は、机の下へと這い込んだ。そこはかつて、深夜まで帳簿をつけ、数字の海に沈んでいた聖域であったが、今は単なる物理的な遮蔽物に過ぎない。妹のグレーテ――いや、私の妹であったはずの娘は、涙を流しながらも、皿に盛られた冷めた残飯を部屋の隅に置いた。彼女の同情は、人間に対するそれではなく、行き場を失った野良犬に対する、衛生的な哀れみに変質していた。
数日が経過した。吾輩は、犬としての肉体に順応していく。床の匂いから、家族が昨夜何を食し、どのような不満を抱いて眠りについたかを正確に把握できるようになった。しかし、内面にある「人間」の意識は、依然として冷徹な論理を紡ぎ続けていた。吾輩は、この変身が何らかの罰であるとは考えなかった。むしろ、これは極めて効率的な帰結ではないか。組織の歯車として、無条件の忠誠と従順を求められ続けた結果、肉体がその要求に完璧に応えるべく、真の「猟犬」へと進化したに過ぎないのだ。
家族の態度は、急速に硬化していった。吾輩が稼ぎ出す給与が途絶えた瞬間、彼らにとっての「息子」という定義は崩壊した。母は吾輩の姿を見るたびに喘息のような発作を起こし、父は吾輩が少しでも部屋の外に出ようものなら、容赦なく靴の先で追い立てた。妹だけは、しばらくの間、吾輩の部屋を掃除し、食べ物を与えてくれたが、それも長くは続かなかった。彼女もまた、自らの人生という重荷を背負い始めていた。彼女にとって、兄が犬になったことは、もはや悲劇ではなく、処理すべき「不潔な残余」となったのである。
ある夜、吾輩は居間の扉の隙間から、家族の会話を盗み聞きした。父は、吾輩を処分すべきだと主張していた。
「あれはもう、我々の息子ではない。単なる獣だ。もし息子であるなら、自分の存在が家族をどれほど苦しめているか理解し、自ら去るはずだ」
その言葉は、鋭利な刃物のように吾輩の意識を貫いた。なるほど、これこそが人間社会の論理である。有用性を失った存在は、その本質が何であれ、排除の対象となる。かつて吾輩が、成績の上がらぬ部下を冷酷に切り捨てた時の論理が、今、ブーメランのように己に突き刺さっているのだ。
吾輩は、静かに部屋に戻った。月光が、埃の舞う室内を青白く照らしている。空腹はもはや感じなかった。ただ、この重苦しい肉体という檻から解放されたいという願望だけが、最後のリズムとして胸の内に脈打っていた。吾輩は、犬として、あるいは人間として、最後の一仕事を成し遂げるべきだと悟った。それは、家族の平穏という「勘定」を合わせるための、最終的な減価償却であった。
翌朝、家族が吾輩の部屋を覗いたとき、そこにはもはや、呼吸をする生命体は存在しなかった。ただ、一匹の痩せさらばえた犬の死骸が、まるで帳簿の最後に引かれた二重線のように、冷たく横たわっているだけであった。
父は安堵のため息をつき、母は十字を切り、妹は窓を開けて新しい空気を入れ込んだ。彼らはその日の午後、久しぶりに郊外へ散歩に出かけることに決めた。路面電車の窓から差し込む陽光を浴びながら、彼らは若々しく成長した妹の将来について語り合った。吾輩という負債を清算した彼らの顔には、一点の曇りもない。
家族が明るい未来を確信し、互いの幸福を称え合っているその時、彼らの足元を、一匹の誇り高い血統書付きの犬が通り過ぎた。彼らはそれを「美しい」と称賛した。かつての息子が、その足元で冷たくなった土くれに過ぎないことも忘れ、彼らは新しい「忠誠」を求めて笑い合っていた。これこそが、完成された世界の風景であり、論理的必然としての喜劇である。吾輩は、死してなお、その完璧な皮肉に、声なき拍手を送らざるを得なかった。