空想日記

5月2日:沈みゆく知の巨星

2026年1月16日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

アンボワーズの春の陽光は、あまりに暖かく、残酷なほどに透き通っている。
クロ・リュセの館を包む空気は、昨日までの嵐が嘘のように静まり返り、窓の外からはロワール川のせせらぎと、芽吹き始めた若葉を揺らす風の音だけが聞こえてくる。しかし、この静寂は安らぎではなく、一つの時代の終焉を告げる重苦しい幕間だ。

私は師の枕元に座り、その痩せ細った手を握りしめている。かつて、解剖学の緻密な素描を描き出し、変幻自在の翼を構想し、そしてあの『モナ・リザ』の神秘的な微笑みを紡ぎ出したその手は、いまや枯れ木のように冷たく、力無い。銀色の長い髭は胸の上で静かに震え、喘ぐような呼吸が、この部屋に残された最後の生命の脈動を刻んでいる。

「フランチェスコ……」

師が、か細い声で私の名を呼んだ。その眼差しは、もはや地上の風景ではなく、彼が一生をかけて追い求めた宇宙の真理を見つめているかのようだった。
師レオナルドは、今朝、司祭を呼び、聖体拝領の儀式を済ませた。あれほど自然の理を解き明かし、神の創造を科学の眼で解剖しようとした御仁が、最期には教会の儀式に従い、魂の安らぎを乞うた。それは矛盾ではなく、知の極致に至った者が辿り着く、畏怖に満ちた謙虚さなのだと私は思う。

午後に入り、国王フランソワ一世陛下がお見えになった。陛下は、この偉大なるイタリアの老賢者を「わが父」と呼び、深く敬愛しておられる。陛下が師の体を抱きかかえるようにして支えられたとき、部屋の中の空気は、王の威厳と老師の尊厳が混ざり合い、言葉にできぬ神聖さに満たされた。
師は苦しい息の中で、自らの芸術がいかに神と人の期待に添い得なかったかを悔いるような言葉を漏らされた。万能と謳われ、世界のすべてを理解しようとした天才の最期の言葉が、到達できなかった高みへの悔恨であったことに、私は胸が締め付けられる思いがした。

そして、陽が西に傾きかけた頃、その時は訪れた。
握りしめていた手の力が、ふっと抜けた。
鏡文字で埋め尽くされた膨大な手稿、未完のまま残されたいくつもの傑作、そして人間の精神が到達しうる最高峰の知性――それらすべてを遺し、レオナルド・ダ・ヴィンチの魂はこの肉体という檻を脱ぎ捨てた。

陛下は嗚咽を漏らし、師の亡骸を抱きしめたまま動こうとされない。私はただ、呆然と窓の外を見つめていた。
あの日、ミラノからアルプスを越え、馬の背に大事な絵画を積み、フランスの地に辿り着いたあの日。師は「私は続ける」と仰った。死の間際まで、彼は水の流れを観察し、解剖図を描き、この世界の仕組みを解き明かそうとしていた。
師がいなくなったこの世界は、明日から急に色彩を失い、法則を忘れてしまうのではないか。そんな錯覚に陥るほどの喪失感だ。

私は、枕元に置かれた彼の手稿に目を落とした。
「よく過ごされた一日は安らかな眠りをもたらし、よく生きられた一生は安らかな死をもたらす」
かつて師がノートの端に記したその言葉が、いま、私の耳の奥で静かに響いている。

レオナルド・ダ・ヴィンチ。
私の師であり、光であった男。
この男と同じ時代に息をし、その筆が動く様を見届けられたことの幸運を、私は一生かけて神に感謝しなければならない。

ロワールの夕闇が、静かに館を飲み込んでいく。
一人の天才が消え、人類の歴史に巨大な空白が刻まれた。この傷跡は、おそらく永遠に埋まることはないだろう。

参考にした出来事:1519年5月2日、レオナルド・ダ・ヴィンチの死去。イタリア・ルネサンスを代表する「万能の天才」が、フランス国王フランソワ1世の招きで滞在していたアンボワーズのクロ・リュセ城(旧クロー・リュセ館)にて67歳でこの世を去った。