【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『ドン・キホーテ』(セルバンテス) × 『平家物語』(木曾義仲)
諸行無常の響きは、いまや錆びついた風車の軋みに取って代わられた。祇園精舎の鐘の声に代わり、吹き抜けるのはラ・マンチャの乾いた熱風と、木曾の山嶺を削る氷の如き峻烈な風の混淆である。盛者必衰の理は、華やかなる平氏の滅亡にのみならず、古き良き騎士道という名の妄執に憑かれた老人の脳髄にも、等しくその鉄槌を下そうとしていた。
その男、名は古き記録には残っていない。ただ、書庫に積み上げられた『軍記物語』と『遍歴騎士道物語』の山に埋もれ、昼夜を分かたず文字の海を泳いだ果てに、彼は己を「木曾の旭将軍にして、悲しき面貌の騎士」であると定義した。彼の眼に映る世界は、もはや現世の泥濘ではない。朽ち果てた村の痩せ馬は、名馬「鬼鹿毛」にして「ロシナンテ」という二つの魂を宿した神獣となり、彼の痩せこけた四肢を包むのは、古道具屋から掠め取った端切れの腹巻と、錆びた洗面器を加工した兜であった。
「見よ、サンチョよ。あのアスファルトの彼方に、平家の赤旗を翻す大軍が見えるではないか。あるいは、あれは巨人たちの腕か。いずれにせよ、武士の情けと騎士の礼節を以て、あやつらを粉砕せねばならぬ」
傍らに控える男――かつてはただの農夫であったが、今は「知行一万石」と「領主の島」という相矛盾する恩賞を約束された忠実な従者――は、主人が指さす先を見やった。そこにあるのは、無機質な灰色の空を背景に回る、三基の巨大な風力発電の風車であった。あるいはそれは、近代という名の冷徹な論理が、かつての叙事詩を屠るために設えた断頭台のようにも見えた。
「旦那、あれはただの機械です。平家でもなければ、魔術師が化けさせた巨神でもありません。北陸の寒風を受けて回っているだけの、空虚な塔に過ぎないのです」
しかし、主人の耳にサンチョの現実的な諫言は届かない。彼の鼓膜を震わせているのは、宇治川の先陣争いの喚声であり、あるいは鏡のように磨き上げられた盾を打ち鳴らす騎士たちの勇壮なる足音であった。彼は、不浄の京を浄化せんとして山を下った木曾義仲の憤怒と、正義を求めて放浪するドン・キホーテの狂熱を同時に心臓に宿していた。
「黙れ、理屈に魂を売った臆病者め。法皇の謀略に沈んだ義仲公の無念を、そしてドゥルシネーア姫の穢れなき名誉を、あの大鎌のような翼から救い出すのは、この私の双肩にかかっているのだ」
男は、手製の竹槍を構え、骨張った膝を馬の腹に叩きつけた。痩せ馬はいななきを上げる気力もなく、ただ崩れ落ちそうな脚を交互に動かし、無機質な巨塔へと突進を開始する。その姿は、あまりに滑稽でありながら、見る者の魂の底にある「かつて存在したはずの誇り」を逆撫でするような、凄惨な美しさを湛えていた。
突風が吹き抜ける。風車の巨大な翼が、重力と力学の法則に従って、無慈悲に弧を描いた。男は「南無三宝、サン・ティアゴ!」と、二つの世界の神仏を同時に召喚する叫びを上げ、虚空へ飛び込んだ。
その瞬間、世界は静止した。
男の視界の中で、風車の羽根は平家の将の太刀へと変貌し、あるいは邪悪な魔法使いフレストンの魔杖となって彼を迎え撃った。衝撃。肉の砕ける音。鉄が軋む悲鳴。彼は容易く弾き飛ばされ、冷たい地面に叩きつけられた。
血が混じった泥の中で、男は仰向けになり、空を見上げた。空には星もなければ、浄土の光もない。ただ、回転を続ける機械の規則正しい駆動音だけが、鎮魂歌のように響いていた。
彼は悟った。いや、悟らされたのだ。
彼が戦っていたのは、平家でもなければ巨人でもなかった。彼が挑んでいたのは、「物語」そのものが失墜した世界、すべてが記号と数値に還元され、高貴な狂気すらも精神疾患の分類表に収められてしまう、平坦で退屈な「現実」という名の牢獄であった。
「サンチョ……」
主人の微かな声に、駆け寄った従者がその手を握る。
「旦那、しっかりしてください。だから言ったでしょう、あれは風車だと」
「いや……違うのだ、サンチョ。私は、義仲公のように粟津の松原で討たれることすら許されなかった。あるいは、騎士としての華々しい敗北すらも。私を打ち倒したのは、敵ではない。私を打ち倒したのは、この世界に『敵』が存在しないという事実だ」
男の瞳から、光が消えていく。
「盛者必衰……だが、衰えるべき『盛者』すらも、もはやこの地にはいない。ただ、回り続けるだけの歯車があるだけだ。私は、英雄として死ぬのではなく、ただの故障した部品として、この大地の塵に帰るのだな」
彼は最後に、かつて夢想した愛しき女性の姿を思い描こうとした。しかし、その顔はもはや巴御前の凛々しさも、ドゥルシネーアの素朴な美しさも失っていた。それは、何の変哲もない、どこにでもある消費されるだけの広告の挿絵のような、空虚な微笑であった。
男が息を引き取った時、風車は何事もなかったかのように回転を続けていた。風は吹き止まず、ただ不毛な大地を撫でるだけである。
翌日、地方紙の片隅に小さな記事が載った。
「老人が廃材を組み合わせた自作の防具を纏い、風力発電施設に突入して死亡。身元不明。精神疾患の疑いあり」
そこには、彼が命を懸けて守ろうとした「義」も、彼が殉じた「愛」も、一文字として記されてはいなかった。ただ、一人の狂人が物理法則に逆らって自滅したという、冷徹な因果律だけが提示されていた。
これこそが、最果ての地に相応しい、完璧な皮肉である。
英雄の死は叙事詩を完成させるが、狂人の死は清掃業者を呼び出すだけに過ぎない。木曾の山風は止み、ラ・マンチャの砂塵もまた、都市の排気ガスに溶けて消えた。後に残ったのは、血の跡を洗い流す、味気のない雨だけであった。