概要
肥満が重罪とされる都市。富豪たちはどれだけ食べても太らない「魔法のパン」を使い、優雅に法を逃れていた。ある夜、飢えた男がその食べ残しを拾い、至福の夢を見て口にする。しかし、そのパンは食べた者の脂肪を他者へ移し替える「転送装置」だった。一瞬で醜い肉の塊へと変貌した男を襲う、身に覚えのない重税と極刑。富める者が捨てた「罪」の行き先を描く、皮肉に満ちた寓話。
その都市では、脂肪の蓄積こそが「罪」と見なされていた。 市民の義務は、常に痩身であることだ。公共の場にはいたるところに精密な体重計が設置されており、規定の数値を一グラムでも超過すれば、その瞬間に過酷な「過剰消費税」が課せられる。重い体は、それだけで社会の資源を不当に占有している証拠とされたからだ。
この都市で最も成功した者たちが集う北区では、雪のように白いパンが売られていた。 一切れが労働者の月収に匹敵するそのパンは、味も素っ気もないが、ある驚異的な特性を持っていた。それを食べた者は、どれほど豪華な食事をその後に摂ろうとも、一切の栄養を吸収せずに排出できるのだ。
「これこそが真の自由だ」
北区の住人たちは、真っ白なパンを口に含み、その後に続く無意味な美食の数々を愉しんだ。彼らはどれだけ食べても、鳥の羽のように軽やかだった。
都市の南端、吹き溜まりのような路地裏に、一人の男がいた。 彼は飢えていた。規定体重を維持するために配給されるわずかな合成ペーストだけでは、命を繋ぐのがやっとだった。彼の体は骨が浮き出るほど細かったが、それは規律への忠誠ではなく、単なる困窮の結果だった。
ある夜、男は北区のゴミ捨て場で、信じられないものを見つけた。 まだ半分以上残っている「雪のパン」だ。裕福な誰かが、飽きて捨てたものに違いなかった。
男は震える手でそれを拾い上げた。 これさえあれば、今まで手が出せなかった道端の腐った果実や、捨てられた動物の脂身を、罪悪感なく胃に流し込める。どれだけ食べても「罪」に問われない、魔法の免罪符だ。
彼はそのパンを貪り食った。 見た目とは裏腹に、パンは奇妙な重みを持っていた。噛めば噛むほど、口の中に脂っこい、濃厚な風味が広がっていく。おかしい。このパンは無味無臭のはずではなかったか。
喉を通るたびに、男の胃は不自然に膨らみ始めた。 パンは、ただのスポンジではなかった。
実は、この都市の最新技術で作られた最高級パンの正体は、「代謝の転送装置」だった。 北区の富豪がそのパンを一口食べると、その後に摂取した余分なカロリーや脂肪分は、一時的にパンの繊維の中に「記録」される。そして、そのパンが完全に消化されるか、あるいは物理的に誰か他の者の胃に入ることで、蓄積されたデータが「質量」として復元される仕組みになっていたのだ。
男が食べたのは、一人の大富豪が一年間かけて贅沢の限りを尽くし、パンの中に閉じ込めていた「一万食分の脂欲」そのものだった。
男の体は、みるみるうちに膨れ上がった。 腹部は裂けそうなほどに突き出し、顎の肉は幾重にも重なった。細かった手足は、丸太のような脂肪の塊へと変貌していく。
けたたましいサイレンが鳴り響いた。 路地の壁に埋め込まれた監視センサーが、異常な質量を検知したのだ。
数分後、防護服を着た徴税役人たちが男を取り囲んだ。 彼らは、地面に横たわり、自らの重さで身動きが取れなくなった巨大な肉の塊を見下ろした。
「信じがたい。これほどまでの略奪者が潜んでいたとは」
役人の一人が、男の首にかけられた個体識別番号をスキャンした。
「現行犯で全財産を没収。および、今後三百年間にわたる強制労働刑に処す。これほどの『富』を独占していたのだ、当然の報いだな」
男は何かを叫ぼうとしたが、厚い脂肪に阻まれ、ただ脂ぎった息が漏れるだけだった。 役人たちは、市民の模範である北区の紳士たちがどれほど「清廉で、軽く、美しいか」を称え合いながら、史上最高の重罪人を巨大なクレーンで吊り上げた。