【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
一九二六年一月二十五日。ロンドンの空は、まるで汚れた羊毛を敷き詰めたかのような厚い雲に覆われ、煤煙まじりの湿った風がフリス街の石畳を舐めるように吹き抜けていた。私はコートの襟を立て、鼻を突く馬糞と石炭の匂いの中を急いだ。王立研究所の会員として招待されたその場所は、およそ歴史的な大発明が成し遂げられる舞台には似つかわしくなかった。ソーホー地区の片隅、屋根裏部屋へと続く狭く暗い階段を上りながら、私は自分の期待が単なる徒労に終わるのではないかという疑念を拭えずにいた。
ジョン・ロジー・ベアードという男の名は、科学界では一種の奇人として知られていた。使い古しの石鹸箱や茶箱、自転車のレンズ、そしておびただしい数の電線。彼の研究室――いや、あえて実験室と呼ぶべきか――に足を踏み入れた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、およそ洗練とは無縁の、がらくたの山だった。部屋の空気は重く、真空管が発する熱と、火花の散るモーターの焼けた油の匂いが混じり合い、呼吸をするたびに肺の奥がちりちりと痛んだ。
「ようこそ、紳士諸君。世界がその目を開く瞬間へ」
ボサボサの髪を振り乱し、充血した目で微笑むベアード氏は、幽霊のような凄みを帯びていた。彼は我々を、巨大な円盤が備え付けられた装置の前へと促した。ニプコー円盤と呼ばれるその円盤には、螺旋状に小さな穴が穿たれている。それが凄まじい速度で回転を始めると、重苦しい唸り音が部屋を満たし、床がかすかに震え始めた。
隣の部屋には、ベントリロキストの人形「ストゥーキー・ビル」が置かれているという。ベアード氏がスイッチを入れると、装置の一角にある小さな覗き窓に、ぼんやりとした橙色の光が灯った。私は息を詰め、その数インチ四方の空間を凝視した。
最初は、ただの光の明滅に過ぎなかった。しかし、円盤の回転速度が一定の均衡に達したその時、私は自分の目を疑った。
粗い走査線の向こう側に、確かに「影」が形を成したのだ。それは人形の顔だった。ただの静止画ではない。人形が動くたびに、その輪郭が揺らぎ、光と影の濃淡が生き物のように蠢いている。解像度は極めて低く、それはまるで霧の向こう側で踊る亡霊を見ているかのようだった。だが、そこには紛れもなく、物理的な距離を超越して運ばれてきた「動き」が存在していた。
感嘆の声が漏れる中、ベアード氏は次に、助手の若者をそのカメラの前に座らせた。驚くべきことに、窓の中に現れたのは人間の顔だった。瞬きをし、口を動かすその様は、あまりにも生々しく、同時にあまりにも非現実的だった。五感のうち「視覚」が、電線を通じて空間を飛び越え、この狭い屋根裏部屋に再構築されている。それは魔術ではなく、冷徹な物理法則に基づいた、しかし人類がかつて到達し得なかった神の領域への侵犯であった。
網膜に焼き付いたのは、粗いオレンジ色の光の中に浮かぶ、頼りなげな人影だ。それはまだ、生まれたての赤子のように弱々しい映像に過ぎない。しかし私は、その小さな覗き窓の向こう側に、広大な未来の深淵を見た。この装置が洗練され、世界中の家庭に置かれるようになったとき、人類はもはや「遠く」を想像する必要がなくなるのではないか。王の戴冠式も、遠い異国の戦火も、愛する者の微笑みも、すべてはこの小さな箱の中に閉じ込められ、万人の目にさらされることになる。
実験が終わり、モーターの唸りが止んだ後の静寂は、妙に重苦しかった。ベアード氏は満足げに汗を拭っていたが、私は言い知れぬ畏怖を覚えていた。我々は今日、プロメテウスが火を盗んだときと同じような、取り返しのつかない一歩を踏み出したのかもしれない。
屋根裏部屋を出ると、ロンドンの夜は依然として暗く、ガス灯の光が霧の中で滲んでいた。だが、私の目には、街全体が目に見えない光の糸で編み上げられているかのように見えた。一九二六年一月二十五日。この日、世界は距離という概念を失い始めた。石畳を踏みしめる自分の足音が、どこか遠くの出来事のように感じられた。
参考にした出来事:1926年1月25日、スコットランドの電気工学者ジョン・ロジー・ベアードが、ロンドンの王立研究所の会員約40名を前に、世界で初めて動く物体の画像をリアルタイムで伝送する「テレビジョン」の公開デモンストレーションに成功した。