【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
パリの冬は、石造りの校舎の壁を容赦なく冷やす。窓の外に広がる世界がどのような色に染まっているのか、今の僕たちには知る由もない。ただ、隙間風が運んでくる湿った土の匂いと、時折聞こえる馬車の轍の音が、この建物が確かにパリの街角に存在していることを教えてくれるだけだ。
王立盲学校の廊下を歩けば、厚手のウールが擦れる音と、杖が石畳を叩く規則的な音が反響する。僕たちの世界は、音と、匂いと、そして指先が触れる冷ややかな輪郭だけで構成されていた。これまでの読書といえば、創設者アユイ氏が考案した大きな浮き出し文字を、ひたすら指でなぞる苦行に近いものだった。一枚の紙にわずかな言葉しか載らず、本はあまりにも巨大で重く、しかも自分たちの手でその文字を書き記すことなど、夢のまた夢だったのである。
そんな停滞した空気の中に、ルイが新しい「光」を持ち込んできた。
ルイ・ブライユ。僕と同じ、まだ十六歳の少年だ。彼はこの数年、バルビエ大尉が考案した十二点の「夜間文字」を改良することに没頭していた。大尉の文字は、音を記録することはできても、文法や綴りを表現するにはあまりにも煩雑で、指の腹で一度に捉えるには大きすぎた。
今日の午後、寄宿舎の片隅で、ルイは僕の手を引いて机の前に座らせた。
「試してみてくれ」
彼の声は、熱を帯びながらも静かだった。机の上には、厚手の紙と、鋭い先端を持つ突き錐(ポアンソン)、そして溝の彫られた金属製のガイドが置かれていた。
僕は差し出された紙に指を置いた。そこには、これまでのどんな書物とも異なる、小さく鋭い突起が並んでいた。
「これは……」
驚きで指が震えた。その突起は、指の腹のちょうど中心に、一分の狂いもなく収まった。縦三点、横二点の、わずか六点の組み合わせ。それはまるで、指先に舞い降りた小さな星座のようだった。
「六つの点があれば、アルファベットのすべて、そして句読点や数字まで表現できるんだ」
ルイの指が僕の手の上を踊る。彼が錐を振るうたびに、紙の裏側に新しい言葉が産声を上げる。プチッ、プチッという乾いた音。それは、僕たちが沈黙と暗闇の中から、自分たちの言葉を取り戻していく音に聞こえた。
これまでの巨大な浮き出し文字は、見える人々が使う文字を無理やりなぞらせるためのものだった。しかし、ルイの考案したこの六つの点は、最初から僕たちの指のために、僕たちの感覚のために設計されている。指を一歩も動かすことなく、その六点の配置を一瞬で「読む」ことができるのだ。
僕は夢中でその点をなぞった。A、B、C。単純で、明快で、それでいて無限の広がりを感じさせる。
「これで、僕たちは自分で手紙を書ける。人の助けを借りずに、自分の思考を紙に刻めるんだ。ルイ、君は……君は僕たちに、自分だけのペンを与えてくれたんだ」
僕の言葉に、ルイは短く、照れたように笑った。だが、その指先が紙の上を滑る速度は、彼が抱いている確信の強さを物語っていた。
校舎の鐘が夕刻を告げる。周囲の少年たちは、暗闇が深まったことにも気づかず、夕食のために食堂へと向かっていく。しかし、今日の僕は、これまでとは違う感情を抱いて階段を下りていた。
僕たちの指先には今、六つの星が輝いている。それは、どれほど深い夜の中にあっても決して消えることのない、知識と自由への道標だ。ルイ・ブライユという一人の少年が、暗闇の中に打ち込んだ小さな穴。そこから漏れ出す光が、今、僕の全身を包み込んでいる。
いつかこの六つの点が、世界中の「見えない人々」の指を導く日が来るだろう。その時、僕たちはもう、ただ与えられた物語を聞く存在ではない。自分たちの物語を、自分たちの手で綴る表現者になれるのだ。
寒々とした廊下を歩きながら、僕はポケットの中で、自分の指先をそっとなぞった。そこにはまだ、ルイが刻んだあの六つの点の感覚が、熱烈な記憶として残っていた。
参考にした出来事:1825年1月4日、フランスの王立盲学校の生徒であったルイ・ブライユが、それまでの複雑な触読文字を改良し、現在の世界標準となる「6点式点字」の仕組みを完成・発表したとされる。