【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
窓の外は、凍てつくロンドンの朝だ。薄暗い光が、分厚い雲の切れ間から辛うじて差し込み、書斎の埃っぽい空気の中に淡い柱を立てている。暖炉の火はまだ小さく、木が燃える僅かな音だけが、この特別な日の静寂を破る。だが、この沈黙の中にも、張り詰めたような期待感が満ちている。
朝食のテーブルに、待ち望んだ包みが届いた。素朴なクラフト紙に包まれ、紐でしっかりと縛られたその塊は、ただの紙の束ではなかった。それは、我々が過去四半世紀近くにわたり、全身全霊を傾けてきた夢そのものだ。私の指先が、紐を解くのに震える。慎重に紙を剥がすと、新しいインクと紙の、甘く、そしてどこか厳かな香りが鼻腔をくすぐった。
現れたのは、厚く、堂々たる装丁。そして、金文字で刻まれた『A – Ant』の文字。『A New English Dictionary on Historical Principles』、略して『O.E.D.』…その見慣れた、しかし今日ほど重々しく感じられたことはない言葉が、私の心臓を強く打つ。表紙の革は冷たく、しかし滑らかだ。私はそれを両手で持ち上げ、その物理的な重みに、途方もない達成感を覚えた。
ゆっくりと、最初の一ページを開く。白く、堅牢な紙の感触。そして、何万もの言葉が緻密に、しかし整然と並べられた活字の森が、目の前に広がった。一つ一つの言葉に付された語源、時代ごとの用例、発音記号。これら全てが、私の、そして私の家族、多くの協力者たちの、気の遠くなるような努力の結晶なのだ。
一八七九年に私が正式に編集者として指名されて以来、どれほどの困難があったことか。当初、この辞典は十年で完成するはずだった。だが、言語の海はあまりにも広大で、深く、その底には無限の言葉が眠っていた。
膨大な数のスリップ…全国から送られてくる、言葉の用例を記した紙片の山。それらを分類し、精査し、定義を練り上げ、用例を選び抜く作業は、まさに果てしない苦闘だった。朝が来て、夜が去る。雨の日も風の日も、この埃っぽい書斎に籠もり、小さな活字と格闘した。時には資金繰りの問題に頭を抱え、時には健康を害し、時には周囲からの疑念の目に晒された。どれほど多くの夜を、珈琲の湯気と、ランプの煤けた光の中で過ごしたことだろうか。私の背中を痛めつけ、視力を低下させ、家族との時間を犠牲にしてきた。
だが、私一人で成し遂げられたことではない。私の愛する妻、アダ、そして子供たち…彼らは、この書斎の空気、インクの匂い、そして終わりの見えない作業の全てを受け入れ、時に手伝ってくれた。私の右腕となってくれたフレデリックや、何千枚ものスリップを整理したエディス。彼らの存在なくして、今日この日を迎えることはできなかっただろう。
そして、何百、何千という名もなきボランティアの読者たち。彼らが送ってくれた膨大な用例カードこそが、この辞典の血肉を形作ったのだ。特に、あのウィリアム・チェスター・マイナー博士の貢献は計り知れない。彼が送ってくれた無数のカード、その正確さと網羅性には、ただただ頭が下がるばかりだ。彼の悲劇的な境遇を思うと胸が締め付けられるが、その献身には深く感謝せずにはいられない。出版社、印刷所の職人たち、彼らの忍耐と熟練の技がなければ、これほどまでに美しい形で活字となることはなかっただろう。
この重みを両手で抱きしめながら、私は深い安堵と、しかし同時に、これから待ち受ける道のりの途方もない長さに身震いする。まだ「A」の途中。そして、アルファベットは「Z」まで続くのだ。これは、数十年、あるいはそれ以上の歳月を要するだろう。私の人生の残りを、この偉業に捧げる覚悟は、すでに数年前に決めている。
だが、今日、この一歩を踏み出した。この記念すべき第一巻が世に送り出されたのだ。それは、単なる本の刊行ではない。それは、英語という生きた言語の、過去と現在を記録し、未来へと繋ぐ壮大な試みの、確かな始まりを告げる狼煙なのだ。
窓の外では、まだ薄暗い冬の空が広がっている。しかし、私の書斎には、新しいインクの香りと、言葉の力がもたらす熱が満ちている。英語は、常に変化し、成長し続ける生きた言語だ。我々の仕事は、その雄大な流れを一瞬たりとも見逃すことなく、最も正確な形で記録し、次代へと伝えること。この辞典が、来るべき世代の学者、学生、そして言葉を愛する全ての人々にとって、確かな羅針盤となることを心から願う。
今日、この日の喜びを胸に、私は再びペンを執るだろう。まだ、長い旅の始まりなのだから。
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参考にした出来事
1884年2月1日:オックスフォード英語大辞典(OED)の最初の巻、”A-Ant”が刊行された。これは、英語の包括的な歴史的辞典として知られるOEDの、長きにわたる編纂作業の第一歩を記すものであった。