【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
一九二六年、三月十六日。
夜明け前のオーバーンは、骨の髄まで凍りつくような冷気に包まれていた。エフィー叔母さんの農場に広がる荒涼とした雪原は、まだ深い眠りの中にあり、時折吹き抜ける北風が、枯れ木の枝を鳴らす音だけが耳につく。私の吐き出す息は白く濁り、手袋越しに握る鉄製の工具からは、容赦ない寒さが体温を奪っていく。
しかし、私の目の前にある「彼女」――ロバートが「ネル」と名付けたその風変わりな機械は、この静寂の中で確かな鼓動を待っているようだった。
高さ十フィートほどの華奢な骨組み。細い真鍮のパイプが血管のように這い回り、その先端には液体酸素とガソリンを満たしたタンクが据え付けられている。世間の人々は、ロバートのことを「月旅行を夢見る狂人」と嘲笑し、ニューヨーク・タイムズ紙は彼の理論を、真空中で推進力を得られるはずがないという初歩的な誤りに基づいた妄想だと切り捨てた。だが、私たちは知っている。この細い機体の中に、重力の枷を振り払い、宇宙という深淵へ至るための唯一の鍵が秘められていることを。
午前十一時を過ぎた頃、準備は最終段階に入った。
ロバートは驚くほど冷静だった。彼の瞳には、寒さも世間の嘲笑も映っていない。ただ、計算尺が導き出した真理と、目の前のバルブの状態だけが彼の世界のすべてだった。エスターがカメラを構え、震える指をシャッターに添える。私はロバートの指示に従い、点火用のトーチを慎重に近づけた。
「点火」
その短い言葉とともに、地獄の蓋が開いたような轟音が荒野に響き渡った。
ガソリンと液体酸素が燃焼室で混ざり合い、激しい化学反応を起こす。これまでの黒色火薬を用いたロケットの、単発的で爆発的な音とは明らかに違う。それは、持続的で、野性的で、それでいて制御された咆哮だった。噴射口から噴き出す白熱の炎が雪を瞬時に蒸発させ、周囲を白い霧が包み込む。
次の瞬間、私の視界の中で信じがたい光景が展開された。
十フィートの鉄の枠組みに支えられていたはずの「ネル」が、自らの炎を糧にして、重力という巨大な呪縛を断ち切ったのだ。
ゆっくりと、しかし確実に、彼女は上昇を開始した。
冷たい大気を切り裂き、オレンジ色の尾を引きながら、天へと向かって昇っていく。それはわずか二・五秒の出来事だった。高度にして四十一フィート。水平距離にして百八十四フィート。現代の航空機から見れば、それは赤ん坊の最初の一歩にも満たない、あまりに短く、あまりにささやかな跳躍に過ぎないかもしれない。
だが、墜落した「ネル」が雪原に突き刺さり、静寂が再び辺りを支配したとき、私たちは自分たちが何を目撃したのかを悟った。
これまで人類が空へ放ってきたあらゆる飛翔体は、火薬という暴力的な爆発に頼るか、空気の翼にすがるしかなかった。しかし今、私たちは自らエネルギーを調合し、それを制御し、真空の闇ですら燃え続ける「液体燃料」という新たな命を機械に与えたのだ。
凍った地面を駆け寄り、ひしゃげた機体を抱きかかえるロバートの顔には、歓喜よりも、むしろ深い安堵の色が浮かんでいた。彼の眼鏡の奥の瞳は、すでにこのオーバーンの雪原を越え、遥か高みにある成層圏、そしてその先に広がる星々の海を見つめているようだった。
エスターが回していたカメラのフィルムには、人類が地球というゆりかごを離れるための、最初の産声が記録されているはずだ。
鼻を突くガソリンの臭いと、焦げた金属の熱気。そして耳の奥に残る、あの力強い噴射音。
今日という日は、歴史の教科書においては、マサチューセッツ州の片田舎で起こった奇妙な実験として記されるだけかもしれない。だが、数十年後、あるいは数百年後、人類が別の惑星からこの地球を振り返るとき、彼らは必ず思い出すだろう。
一九二六年三月十六日。この凍てつく午後、人類はついに星へと続く扉の取っ手に手をかけたのだということを。
私の手はまだ寒さでかじかんでいるが、胸の奥には、どんな焚き火よりも熱い炎が灯っている。
参考にした出来事
1926年3月16日:ロバート・ゴダードによる世界初の液体燃料ロケットの打ち上げ成功。アメリカのマサチューセッツ州オーバーンにて、液体酸素とガソリンを推進剤としたロケット「ネル」を飛行させた。飛行時間は2.5秒、到達高度は約12.5メートル(41フィート)であったが、この成功は現代の宇宙開発における液体燃料ロケット技術の基礎を築いた極めて重要な歴史的事実である。