空想日記

3月21日:テューリンゲンの森に響く新たな通奏低音

2026年1月13日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

アイゼナハの街を包む空気は、春の兆しを孕みながらも依然として鋭く冷たい。朝方、ヴァルトブルク城の影に潜んでいた霧がようやく晴れ、石畳の隙間に残った残雪が鈍い光を反射している。我らが町の楽師長、ヨハン・アンブロジウス・バッハ様の屋敷は、昨晩から慌ただしさに包まれていた。通りの向こうにある聖ゲオルク教会の鐘が正午を告げる頃、二階の寝所から漏れ聞こえていた苦悶の呻きが止み、代わりに、張り詰めた冬の空気を切り裂くような、高く力強い産声が響き渡った。

私は主人の命を受け、階下で蜜蝋を塗り込み、弦を整えていた。主人は今日という日、演奏を控えていながらも、その手は落ち着かず、愛用のヴァイオリンの調弦を何度もやり直していた。しかし、あの産声を聞いた瞬間、主人の顔から峻厳な楽師の表情が消え、一人の父としての柔和な笑みが零れ落ちたのを私は見逃さなかった。

産屋から降りてきた産婆の老婆が、温かな湯気の立つ手桶を抱え、「健やかな男子だ」と短く告げた。マリア・エリザベート奥様も無事であるという。バッハ家にまた一人、音楽の血を継ぐ者が加わったのだ。この家系に生まれるということは、産声そのものが神への讃美歌の一節であることを意味する。

夕刻、主人の許しを得て、私は生まれたばかりの赤子の顔を拝ませてもらった。揺り籠の中で眠るその小さな存在は、驚くほど静かだった。透き通るような白い肌と、硬く結ばれた唇。その小さな拳は、まるで目に見えない指揮棒を握っているかのように、胸元で固く握られていた。この子が成長し、いつか我らと共に町の広場でトランペットを吹き、あるいは教会のオルガンの前に座る日が来るのだろうか。

主人は、この末の息子に「ヨハン・セバスチャン」という名を授けることに決めたという。セバスチャン。その響きは、このアイゼナハの峻烈な風土に似つかわしい、芯の強さを感じさせる。

晩餐の席で、主人は上等なビールを振る舞い、家族や弟子たちと共に神の恵みに感謝を捧げた。アイゼナハの町は静まり返り、テューリンゲンの森から吹き下ろす風が窓を叩いている。しかし、この小さな屋敷の内部では、何かが始まりつつある予感が満ち満ちている。それは、まだ誰も聞いたことのない、しかし宇宙の運行を司るかのような壮大な調和の予兆だ。

今、屋根裏の私の部屋からは、主人が奏でる祝祭のヴァイオリンが微かに聞こえてくる。その旋律は、揺り籠で眠るヨハン・セバスチャンの呼吸と、不思議なほど完璧な拍節で重なっていた。この子が歩む人生が、どのような旋律を紡ぎ出すのか。それを知る術はまだないが、少なくとも今宵、アイゼナハの空に輝く星々は、この地に降り立った類い稀なる魂を祝福しているように見えてならない。

私は日記のペンを置き、冷えた指先を擦り合わせた。明日もまた、音楽と共に一日は始まる。バッハ家の新しい家族が、その生涯を通じて神の栄光を謳い続けることを願いながら、私は深い眠りにつこうと思う。

参考にした出来事:1685年3月21日(当時のユリウス暦。現在のグレゴリオ暦では3月31日)、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のアイゼナハにて、バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハが、町楽師ヨハン・アンブロジウス・バッハの第八子として誕生した。