【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
一八九五年三月二十二日。パリの春はまだ遠く、サン=ジェルマン=デ=プレの街角には冬の名残を感じさせる湿った風が吹き抜けている。私は上襟を立て、レンヌ通りにある国立産業奨励協会の重厚な扉を潜った。今日の会合の主題は「写真産業の近況について」という、いかにも実業界らしい地味な題目であったが、知人から「リヨンのリュミエール兄弟が、これまでの幻燈の概念を覆す驚べき装置を披露する」という密かな報せを受けていた。
会場内は、埃っぽい羊毛の外套の匂いと、微かに漂うガス灯の燃焼臭に満ちていた。居並ぶのは髭を蓄えた科学者や、冷徹な目をした実業家たちだ。壇上には、ルイとオーギュストのリュミエール兄弟が立っていた。特に弟のルイは、若々しい知性に溢れた瞳を輝かせ、傍らに置かれた真新しい木製の箱――彼らが「シネマトグラフ」と名付けた奇妙な機械――の調整に余念がない。
講演の前半、ルイは写真乾板の技術的進歩について淡々と述べていたが、いよいよ実演の段になると、会場の空気は一変した。カーテンが引かれ、講堂は重苦しい闇に包まれる。わずかに漏れる光が、浮遊する塵のダンスを照らし出している。
「皆様、これからお見せするのは、単なる写真の投影ではありません。生命の連続性、すなわち『時間』そのものの写し鏡です」
ルイの声が響き、直後、背後の装置から「カタ、カタ、カタ」という規則正しい、心臓の鼓動にも似た乾いた音が鳴り響いた。前方の壁面に、強烈な燐光が叩きつけられる。そこに映し出されたのは、リヨンにある彼らの工場の門であった。
最初は、よくある幻燈の静止画かと思った。しかし、その瞬間、私の背筋に電撃のような震えが走った。
門が、動いたのだ。
重い鉄の扉がゆっくりと左右に開き、中から労働者たちが溢れ出してきた。仕事終わりの解放感に浸る男たちが、笑いながら、あるいは足早に通りを横切っていく。自転車に乗った若者が、画面の隅を横切って消えていく。一匹の犬が人々の足元をすり抜けて走る。
それは、あまりにも滑らかで、あまりにも残酷なまでに「現実」そのものだった。
壁に映っているのは光と影の明滅に過ぎないはずなのに、私の鼻腔には彼らが撒き散らす土埃の匂いが感じられ、耳元には彼らの談笑の声が幻聴となって聞こえてくるようだった。これまで写真は、過ぎ去った一瞬を永遠に凍りつかせる「死の芸術」であった。しかし、このシネマトグラフが映し出すのは、絶え間なく流動し、脈動し続ける「生の断片」である。
観客席からは、最初、息を呑む音さえ聞こえなかった。あまりの衝撃に、皆が金縛りにあったかのように硬直していたのだ。誰かが「神よ」と小さく呟いた。それは驚嘆というよりも、未知の力に対する畏怖に近い響きだった。
上映時間は、わずか一分にも満たなかっただろう。工場の門から最後の一人が出ていき、再び画面が白濁した光に飲み込まれた時、私は自分が汗ばんでいることに気づいた。会場の明かりが灯ると、しばしの沈黙ののち、雷鳴のような喝采が巻き起こった。
私は震える手で手帳を取り出し、この感情を書き留めようとしたが、適切な言葉が見つからない。今日、人類は時間を瓶の中に閉じ込め、いつでも好きな時にそれを取り出して、再び呼吸をさせる術を手に入れたのだ。これはもはや科学の進歩などという言葉では片付けられない。我々は、歴史を「記録」するのではなく、歴史を「再演」する神の視点を得てしまったのではないか。
帰り道、ボナパルト通りを歩きながら、私は街ゆく人々を眺めた。馬車の車輪が跳ね上げる泥、行き交う婦人たちのドレスの裾、街灯の灯。それら全てが、先ほど見たモノクロームの影と同じように、美しく、そして儚い「動く断片」に見えて仕方がなかった。
リュミエール兄弟が見せたあの光の束は、きっと数十年後の世界を塗り替えてしまうだろう。写真機が世界の姿を写し取ったように、この機械は世界の魂を写し取るようになるに違いない。私は今、新しい時代の産声を聞いたのだ。あの「カタ、カタ」という機械音が、今も耳の奥で止まない。
参考にした出来事
1895年3月22日、フランスのルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟が、パリの国立産業奨励協会において、自ら発明した複合映写機「シネマトグラフ」による世界初の映画上映を行った。上映された作品は、リヨンのリュミエール工場から従業員が退勤する様子を記録した『工場の出口』であった。これは映画史における最初の試写とされており、同年12月のグラン・カフェでの有料公開に先立つ、歴史的な第一歩となった。