空想日記

3月28日:水の翼、天を衝く

2026年1月13日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

南仏の春の朝は、まだ肌を刺すような冷気を孕んでいる。マルティーグの町を背に、エタン・ド・ベールの水面を眺めれば、そこには鏡のように滑らかで、静謐な銀色の世界が広がっていた。風はない。実験にはこれ以上ない条件だ。しかし、私の胃の腑は、数か月前から続くあの鈍い重圧に支配されたままである。

岸辺には、数人の親しい友人たちと、好奇の目、あるいは冷笑を隠そうともしない数人の見物人が集まっている。彼らの目には、水面に浮かぶ私の愛機「ル・カナール」が、滑稽な木と布の塊に映っているのだろう。陸から飛び立ち、陸へ降りる。それが飛行機の絶対的な掟だと信じられている時代だ。水を滑走路にするなど、正気の沙汰ではないと思われても無理はない。

私は油の染みた作業服を整え、お守り代わりに持ってきた古いゴーグルを額に当てた。足元を浸す冷たい海水が、革靴の縫い目から浸入してくるが、そんなことはもうどうでもいい。私の視線は、三つのフロート、すなわちこの「鴨」の足に釘付けになっていた。流体力学と航空力学が交差する、その一点に私の半生を賭けてきたのだ。

コックピットに乗り込むと、グノーム・ロータリーエンジンの無骨な金属の匂いと、キャスターオイルの独特な香りが鼻腔を突いた。整備士がプロペラに手をかけ、合図を送る。
「コンタクト!」
叫びとともにプロペラが回転を始めると、静寂は一瞬にして切り裂かれた。五十馬力の爆音が、エタン・ド・ベールの水面を震わせ、私の背骨にまで直接響いてくる。機体はゆっくりと、まるで水棲の怪物が目覚めたかのように、岸を離れて沖へと進み始めた。

スロットルを徐々に開けていく。フロートが水を切り、白い飛沫が後方へと舞い上がる。機体は激しく揺れ、フロートが水面の微細なうねりを拾うたびに、木製のフレームが悲鳴のような軋みを上げた。時速が四十キロを超えたあたりで、機体は「ハイドロプレーニング」の状態に入った。水に対する抵抗が劇的に減り、ル・カナールは水面を滑る矢となった。

視界は飛沫で霞んでいる。だが、操縦桿を通して伝わってくる感覚が、ある瞬間、劇的に変化した。それまで重く粘りつくようだった手応えが、不意に軽くなり、大気の鼓動を繊細に捉え始めたのだ。
今だ。
私は操縦桿を静かに、かつ毅然と引いた。

その瞬間、世界から摩擦が消えた。
ドシンという衝撃も、飛沫の音も消え、代わりに耳を打つのは風の咆哮と、絶え間なく続くエンジンの咆哮だけになった。下を見れば、先ほどまで私を繋ぎ止めていた銀色の水面が、みるみるうちに遠ざかっていく。私は飛んでいる。それも、母なる海の上を。

高度はわずか数メートル。しかし、その数メートルは、人類の歴史における果てしない深淵を飛び越えた距離に等しい。眼下の水面には、朝日に照らされた私の影が、巨大な鳥のように優雅に滑っていた。空気は驚くほど澄み渡り、冷たさが肺の奥深くまで染み渡る。恐怖は消え去り、代わりに全身を貫いたのは、神の領域を少しだけ覗き見してしまったかのような、震えるほどの法悦だった。

五百メートルほど飛行しただろうか。私は慎重にスロットルを絞り、降下を開始した。再び水面に戻る瞬間、機体は一度大きく跳ね、激しい水しぶきとともに再びエタン・ド・ベールの抱擁に迎え入れられた。フロートが水を切り、やがて機体が静止したとき、あたりには再び静寂が戻っていた。

岸辺から聞こえてくるのは、驚愕と歓喜の混じった怒号のような歓声だ。私はただ、エンジンの熱を帯びた空気を深く吸い込み、震える手で操縦桿を握り締めていた。
今日、海はもはや障壁ではなくなった。空へと続く、果てしない滑走路となったのだ。私は日記の片隅に、この震える手で書き記さねばならない。
1910年3月28日。ル・カナール、水面を離れ、空を征服せり。

参考にした出来事
1910年3月28日、アンリ・ファーブルが世界初の水上飛行機での離水に成功
フランスの技術者アンリ・ファーブルが、自ら設計・製作した水上飛行機「ル・カナール(鴨号)」を用い、南フランスのマルティーグ近郊にあるエタン・ド・ベール(ベール湖)において、世界で初めて水面からの離陸に成功した。この機体は合板と帆布で作られ、三つのフロートを備えていた。当日は計4回の飛行に成功し、最長で約600メートルの距離を飛行した。この成功は、その後の海軍航空隊の発足や、水上航空機の発展に決定的な影響を与えた。