【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
指先のインク汚れが、どれだけ洗っても落ちない。爪の間にこびりついた黒い染みは、ここ数週間の不眠不休の代償であり、僕たちが挑んだ無謀な賭けの証でもある。
今朝のロサンゼルスは、妙に空気が乾いていた。ハイペリオン・アベニューにある小さなスタジオの空気は、熱気と、使い古された鉛筆の芯の匂い、そして言いようのない不安で満ちていた。ボスであるウォルトは、いつになく饒舌だったが、その瞳の奥には鋭い焦燥が宿っていた。オズワルドという最愛のキャラクターを奪われ、配給業者との契約に敗れ、どん底に突き落とされた僕たちが、秘密裏に、それこそ息を潜めるようにして作り上げたのが、あの小さな「鼠」だった。
アブが超人的な速度で原画を描き上げ、僕たちがそれをセルに写し、一枚一枚、命を吹き込んでいく。その作業は、まるで暗闇の中で実体のない幽霊に形を与えているような心地だった。
昼過ぎ、僕たちはフィルムの缶を抱えて、街の小さな映画館へと向かった。五月の日差しは容赦なく照りつけ、埃っぽい道を行くトラックの振動が、僕の膝の上にあるフィルムに伝わってくる。これが、もし観客に受け入れられなかったら。そう思うと、胃のあたりが冷たくなる。
劇場の暗がりに足を踏み入れる。映写機の回転する低い音が、心臓の鼓動と重なった。客席には、何も知らない観客が数人、気だるげに座っている。プログラムの合間に挿入される、ほんの数分の試写。それが僕たちのすべてだった。
光がスクリーンに投射される。
タイトルは『プレーン・クレイジー』。
チャールズ・リンドバーグの快挙に沸く世相を皮肉り、自作の飛行機で空を飛ぼうとする、あの耳の大きな鼠がスクリーンに躍り出た。アブが描いた線の通り、鼠は軽やかに、そしてどこか図々しく動き回る。牛に激突し、プロペラを回し、強引にガールフレンドにキスを迫る。
僕は、観客の反応を盗み見るように首を巡らせた。
最初は、戸惑いのような沈黙が流れていた。しかし、鼠がとんでもない表情で窮地を切り抜けようとするたびに、誰かが鼻を鳴らし、やがて小さな笑い声が劇場の隅から漏れ聞こえてきた。その瞬間、僕の背筋を震えが走った。紙の上の静止画だったあの生き物が、今、確かにこの空間で「生きている」のだと感じた。
スクリーンの中の鼠は、けっして優等生ではなかった。ずる賢く、向こう見ずで、少しばかり粗野だ。だが、その瞳には、どんな逆境をも笑い飛ばすような強烈なエネルギーが宿っていた。それは、配給業者に裏切られ、すべてを失いかけたウォルト自身の、静かな、しかし燃えるような執念の投影に見えてならなかった。
上映が終わったとき、万雷の拍手があったわけではない。観客の多くは、単なる面白い短編を見た、程度の認識だったろう。だが、ウォルトの顔を見たとき、僕は確信した。彼は満足などしていない。むしろ、ここからすべてが始まるのだと、その鋭い眼差しが告げていた。
スタジオへの帰り道、車窓から見える夕焼けは、まるで炎のように赤く染まっていた。
僕たちの鼠は、まだ声を持っていない。音のない世界で、ただ滑稽に跳ね回るだけの存在だ。だが、あのアニメーションの滑らかな動き、重力さえも味方につけたような躍動感は、これまでのどんな漫画映画とも違っていた。
今日という日は、歴史の教科書に載るような派手な出来事として記憶されることはないかもしれない。ハリウッドの喧騒の中で、誰も気づかないほど小さな産声に過ぎなかったのかもしれない。しかし、僕は知っている。あの銀幕の上で、命を吹き込まれた鼠が、世界中の人々の心を掴むために最初の一歩を踏み出したのを。
指先のインク汚れが、今は誇らしく思える。明日はもっと早くスタジオに行こう。次の作品では、彼にどんな冒険をさせようか。
名前は、ミッキー。
ウォルトが名付けたその響きが、夜の風に乗って、まだ見ぬ未来へと溶けていった。
参考にした出来事:1928年5月15日、ミッキーマウスが短編映画『プレーン・クレイジー(飛行機狂)』の試写で初めてスクリーンに登場。ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスによって制作されたこの作品は、当初サイレント映画として公開され、後にミッキーマウスの正式なデビュー作とされる『蒸気船ウィリー』へと続く一連の挑戦の第一歩となった。