【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
ケルントネルトール劇場の楽屋裏は、むせ返るような湿気と、獣の吐息にも似た熱気に包まれている。私は震える手でヴァイオリンの弦を確かめ、松脂の粉が舞う中で幾度も深呼吸を繰り返した。今夜、我々が演奏するのは、あの「難聴の巨匠」が十年の歳月をかけて紡ぎ出した、異形ともいえる巨大な交響曲だ。
舞台袖から客席を覗けば、ウィーンの耳の肥えた貴族も、小銭を握りしめてやってきた市民も、等しく飢えた眼差しを舞台へと注いでいる。彼らが待っているのは、かつて音楽の常識を塗り替えた天才の再臨であり、そして同時に、完全に聴力を失ったという残酷な噂の真相を確かめるための見世物でもあった。
楽団員たちが位置につき、冷ややかな静寂が場内を支配した時、彼が現れた。背を丸め、乱れた白髪を振り乱しながら、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが指揮台の傍らに立った。その足取りはどこか危ういが、眼光だけは、射抜くような鋭さを失っていない。公式な指揮者はミヒャエル・ウムラウフだが、巨匠は自ら譜面をめくり、テンポを指示する役割を担っている。
第一楽章。虚空から湧き上がるような、空虚な五度の和音。それは世界の創造を思わせる、恐ろしくも神聖な音の胎動だった。私の指先は、譜面を追うことよりも、彼の背中から発せられる凄まじい意志に導かれるように動き始めた。彼は聴こえていない。自分の振る指揮棒が立てる風の音さえ、彼には届いていないのだ。しかし、彼の魂は、我々が鳴らす以上の咆哮を、頭の中で鳴り響かせているに違いない。
第二楽章の狂気じみたスケルツォ、そして第三楽章の、天上の美しさを湛えたアダージョ。演奏しながら、私は鳥肌が立つのを感じていた。音という波が、劇場の壁を震わせ、聴衆の心臓を叩いている。だが、本当の「嵐」はこれからだった。
終楽章。不協和音が叫びを上げ、これまでの楽章を拒絶するように打ち消していく。そして、チェロとコントラバスによるあの「歓喜」の主題が、囁くように現れた。その旋律が管弦楽全体へと広がり、ついに合唱隊と独唱者が声を上げた時、劇場の空気そのものが爆発した。
「神々の美しき輝きよ、楽園の娘よ!」
何百人という人間の声と楽器が一体となり、天を衝くような大音響が渦を巻く。それはもはや音楽という枠を超え、一つの宗教的な啓示のようであった。私は無我夢中で弓を弾き、目の前で激しく身体を揺らすベートーヴェンの背中を見つめていた。彼は、自らが産み出したこの宇宙のような響きの中にいながら、一人、絶対的な静寂の中に立っている。その孤独を思うと、視界が涙で歪んだ。
曲が終わった。最後の一音が消え去った瞬間、一拍の空白の後、雷鳴のような喝采が沸き起こった。聴衆は総立ちになり、帽子を投げ、名前を叫び、地響きのような拍手が劇場の天井を突き抜けんばかりに鳴り響いた。
しかし、ベートーヴェンはまだ、オーケストラの方を向いたまま立ち尽くしていた。彼は、曲が終わったことさえ分からなかったのだ。拍手の渦も、人々の叫びも、彼の世界には届かない。
その時、アルト歌手のカロリーネ・ウンガーが、そっと彼の袖を引き、客席の方を向かせた。
巨匠の瞳に、熱狂する群衆の姿が映った。彼は驚いたように目を見開き、そして深く、静かに頭を下げた。その姿を見た瞬間、客席のボルテージは頂点に達した。皇帝に対するそれよりも熱烈な、五度にもわたるアンコールを求める喝采。
私はヴァイオリンを抱えたまま、しばらく動くことができなかった。今夜、私たちは歴史の目撃者となったのではない。私たちは、一人の人間の魂が、肉体の欠落という地獄から這い上がり、全人類を抱擁するほどの光を掴み取る瞬間を共に創り上げたのだ。
劇場を出ると、ウィーンの夜風は冷たかったが、私の胸の中には、あの「歓喜の歌」がいつまでも熱く残り続けていた。
参考にした出来事:1824年5月7日、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の初演。ウィーンのケルントネルトール劇場で行われたこの演奏会は、ベートーヴェンが約12年ぶりに公の舞台に姿を現した機会であり、聴力を完全に失っていた彼が、演奏終了後に聴衆の拍手に気づかず、歌手に促されてようやく観客の方を向いたというエピソードで知られる。