【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
今日は、生涯忘れ得ぬ日となるだろう。いや、忘れてはならぬ日だ。あの炎、あの熱、あの悲鳴、そしてあの劇場の崩れ落ちる音。全てが脳裏に焼き付いて離れない。
朝から、私はそわそわしていた。今日もまた、グローブ座の舞台の脇に立ち、劇の運びを見守る栄誉にあずかれる。今日の演目は、シェイクスピア殿とフレッチャー殿の新たなる合作、『ヘンリー八世』と聞いていた。開演前から、テムズ川の対岸、サザークの賑やかな通りは、劇場へと向かう人々の熱気で溢れかえっていた。泥でぬかるむ道を踏み分け、橋を渡り、劇場が見えてくると、私の胸はいつも高鳴った。
劇場に入ると、いつものように、木と汗と、そして微かな土埃の匂いがした。すでに、円形の客席は多くの観客で埋め尽くされ、階下の「グラウンドリング」と呼ばれる立ち見席には、我先にと場所を確保しようとする人々がひしめき合っていた。彼らの歓声、酒売りの呼び声、そして開幕を告げるトランペットの音が、劇場全体を震わせる。
いよいよ幕が上がった。
この劇は、特に豪華な衣装と、幾度も火薬を用いた大砲が使われるのが特徴であった。舞台装置の準備に携わった私には、それがどういう仕掛けであるか、熟知していたはずだった。劇が進むにつれ、イングランド王の威厳と、その宮廷の華やかさが、観客の目を釘付けにした。私自身も、役者たちの繰り出す言葉の一つ一つに、そして彼らの身のこなし一つ一つに、魅了されていた。
その時は、第一幕も終盤に差し掛かった頃だったろうか。
舞台上でヘンリー八世がとある貴族の宴を開く場面で、例の大砲が使用された。高らかに轟く音。祝砲なのだから、あの音にはいつも気分が高揚したものだ。煙が上がり、茅葺きの屋根の縁をかすめる。ああ、いつものことだ、と私は何の疑いもなく思っていた。しかし、その日は違った。
どこからともなく、焦げ臭い匂いが漂い始めた。劇場特有の木と汗の匂いに混じって、それがはっきりと鼻を突いた。最初にそれに気づいたのは、舞台の隅で小道具の番をしていた男だったろうか。彼は顔を上げて、屋根のあたりを指差した。視線を追うと、屋根の茅葺き材の間に、小さな、しかし不気味な赤みが灯っているのが見えた。
「火だ!」
誰かが叫んだ。その声は、瞬く間に劇場の喧騒を切り裂いた。観客のざわめきが、困惑から恐怖へと変わるのを肌で感じた。舞台上の役者たちも、一瞬動きを止め、我々舞台裏の者に助けを求めるように視線を向けた。
火は、あっという間に燃え広がった。茅葺きの屋根は乾燥しきっており、一度火が付くと、まるで生き物のように炎を呑み込んでいった。赤々とした舌が屋根を舐め尽くし、熱い火の粉が観客席へと降り注ぐ。人々は悲鳴を上げ、我先にと出口へと殺到した。押し合いへし合い、互いを踏みつけ、出口は瞬く間に人間の渦となった。私もまた、何かに突き飛ばされるように舞台裏から飛び出し、人々の波に揉まれながら外を目指した。
熱かった。あまりの熱気に、顔が、腕が、火傷をするかと思うほどだった。頭上からは、燃え盛る木材の破片が落ちてくる。私はただ、無我夢中で、陽の光が差す外へと、あの地獄から逃げ出したい一心だった。
ようやく外へ出ると、すでに劇場全体が炎に包まれていた。屋根は全て燃え落ち、木材の骨組みが、まるで巨大な怪物の骨のように、黒い煙の中に突き立っていた。人々は、グローブ座を囲むように立ち尽くし、誰もが呆然と、その光景を見つめていた。テムズ川の水が引き上げられ、懸命に火を消し止めようとする者もいたが、その炎の勢いの前では、ただの気休めに過ぎなかった。火の粉は風にあおられ、近隣の家屋にも飛び火するのではないかと、新たな不安が私を襲った。
昼前の開演から、全てが終わるまでに、どれほどの時間が経ったのだろうか。私が劇場を後にした時には、既に黒焦げの骨組みだけが、空虚にそびえ立っていた。あの華やかで、幾千もの物語を生み出してきた舞台が、全て灰燼に帰してしまったのだ。
幸いにも、この惨事で命を落とした者はいなかったと聞く。だが、多くの人々が火傷を負い、中にはその足を踏み砕かれた者もいたという。私は無傷であったが、心には深い傷を負った。あの劇場は、私にとって単なる木造の建物ではなかった。そこは、夢が生まれ、喜びと悲しみ、そして人間性が表現される聖域であった。私の人生の多くが、あの舞台の光と影と共にあったのだ。
残されたのは、焦げ付いた木材の匂いと、燻ぶる煙だけだった。人々は、嘆き、あるいは怒り、そして明日への不安を口々に語り合っていた。しかし、同時に、あのグローブ座が、いつかまた、このサザークの地に、新たな姿で蘇ることを願う声も聞こえた。
今日、私は一つの時代が終わるのを見たのかもしれない。
だが、あの舞台で交わされた言葉、あの劇場で生まれた感動が、人々の心から消えることはないだろう。
私は、ただ信じたい。この灰の中から、きっとまた、新しい「夢の館」が生まれることを。そして、再び私が、その舞台の脇に立つ日を。
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参考にした出来事:1613年6月29日(西暦)、ロンドンのグローブ座火災。シェイクスピアの戯曲『ヘンリー八世』の上演中に特殊効果で使用された大砲の火薬が茅葺きの屋根に引火し、グローブ座は全焼した。幸い死者は出なかったが、劇場は大きな被害を受け、翌年に再建された。