空想日記

7月27日: 琥珀色の奇跡

2026年1月24日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

トロントの夏は、粘りつくような湿気と、焼け付くような日差しで、実験室の空気まで重くする。それでも、フランク・バンティング先生とチャールズ・ベスト先生は、この蒸し風呂のような空間から一歩も出ようとしない。今日の実験が、これまでのあらゆる失敗と、その果てに生まれた僅かな希望の、まさに天秤の均衡を分かつ一日になるかもしれないという、張り詰めた予感が、私を含め、この部屋にいる誰もを縛り付けていた。

私はトーマス・マクドナルド。この実験室で、主に器具の準備や清掃、そして先生方の指示に従い簡単な手伝いをさせていただいている医学生だ。二人の先生方の研究にかける情熱と、その陰に隠された深い焦燥を、ここ数ヶ月、肌で感じてきた。糖尿病という、当時としては死の宣告に等しい病に苦しむ患者を救うため、彼らは日夜、膵臓と格闘している。マクラウド教授の疑念に晒されながらも、二人の信念は揺るがなかった。

午前中、ベスト先生は慣れた手つきで実験動物—一匹の犬—の膵臓の導管を結紮する手術を行った。これは、膵液が分泌されず、膵臓そのものが自己消化を起こし、アトロフィーさせるための重要な工程だ。胃液による膵臓の分解を防ぎ、特定の細胞だけを温存させるというバンティング先生の仮説に基づく。その手つきは、いつもの冷静さを保ちながらも、僅かに震えているように見えた。彼はまだ若いが、その集中力は尋常ではない。手術は無事に終わり、しばらくの間、我々は沈黙のうちに待った。

午後、アトロフィーした膵臓を摘出し、それを冷蔵庫から取り出した氷塊の中に埋めた。その冷たさが、実験室の熱気の中で唯一の慰めとなる。ベスト先生は、その冷えた膵臓を細かく、まるで料理人が特別な食材を扱うかのように、丁寧に刻み始めた。その時々の先生方の呼吸の音や、器具の触れ合う音だけが、この部屋に響く。私もまた、先生方の息遣いに合わせて、自分の呼吸が深くなるのを感じていた。

そして、最も重要な抽出の段階だ。バンティング先生は、アルコールと生理食塩水を混合した溶液を、細かく刻まれた膵臓の断片に加えるよう指示した。その目的は、膵臓からインスリンと思しき有効成分を抽出すること。アルコールは、消化酵素を不活性化し、目的の成分だけを分離しやすくするのだという。私が用意した、滅菌されたフラスコの中で、溶液はゆっくりと膵臓の組織から成分を溶かし出していく。時折、バンティング先生がフラスコを軽く揺すり、溶液が混ざり合うのを助けた。琥珀色を帯びた、澱んだ液体が、フラスコの中でゆらゆらと揺れる。この液体の中に、我々が探し求める「何か」が、果たして含まれているのだろうか。

抽出された粗製液を、今度は別の糖尿病にした犬に注射した。その犬は、膵臓を摘出されたため、見るからに衰弱しており、血糖値は危険なほど高かった。希望と絶望の狭間で揺れる実験は、常に残酷だ。私たちは皆、注射器の針が犬の皮膚に刺さる音を聞き、その後、沈黙のうちに待った。秒針の音が、これほど大きく聞こえたことはない。

バンティング先生は、犬から採取した血液を使い、血糖値の測定に取り掛かった。私は、顕微鏡の傍で、先生の震える手を凝視していた。試薬が加えられ、色の変化が起きる。その色の濃淡で、血糖値の増減を測るのだ。最初の測定値は、予想通り高かった。しかし、数十秒、数分と経過するにつれて、先生の顔色が変わっていくのが分かった。

「下がっている…」

バンティング先生の声が、かすれて、まるで遠くから聞こえてくるようだ。彼の視線は、顕微鏡の視野に釘付けになっている。私も思わず息を呑み、測定器具の目盛りを凝視した。確かに、数字が、ゆっくりと、しかし確実に降下している。信じられない、だが、紛れもない事実だった。

ベスト先生の、それまでの緊張の糸が切れたように、深く長い安堵の息が漏れる。そして、バンティング先生は、ほとんど叫ぶように言った。

「見てくれ、ベスト!下がっている!本当に下がっているんだ!」

実験室に、それまでずっと張り詰めていた空気が、まるで割れるように弾けた。二人の先生は、互いに顔を見合わせ、その目に宿る光は、私には生涯忘れられないものとなるだろう。それは、科学者の探求心が実を結んだ瞬間の、純粋な歓喜だった。成功だ。確かに、私たちは成功したのだ。

夜遅く、実験室の明かりはまだ灯っていた。外は、真夏の夜空に、ひときわ大きく月が輝いている。私の手には、まだアルコールの匂いが残っている。そして、体中を駆け巡る興奮は、一向に収まる気配がない。

あの琥珀色の液体。あの液体が、どれほどの意味を持つのか、今の私にはまだ想像することしかできない。しかし、糖尿病で苦しむ数え切れない人々にとって、今日、この実験室で生まれた「インスリン」という希望が、どれほど大きな光となるか、その予感は、この胸の中で確かに膨らんでいる。私は歴史の、まさにその瞬間を、この目で目撃したのだ。

参考にした出来事
1921年7月27日: カナダのフレデリック・バンティングとチャールズ・ベストが、トロント大学の実験室で、犬の膵臓から「インスリン」と命名される粗抽出液の抽出に成功し、糖尿病の犬の血糖値を劇的に降下させることに成功しました。これは、糖尿病治療薬開発の歴史における画期的な発見となりました。