【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
オレンジの果樹園が広がっていたアナハイムの地平が、これほどまでに遠く感じられたことはなかった。1955年7月17日。私は今、歴史が塗り替えられる瞬間の、その最前線という名の戦場に立っている。喉は焼け付くように乾き、額から流れる汗がワイシャツの襟をぐっしょりと濡らしているが、それを拭う余裕さえない。
午前10時の段階で、気温はすでに華氏100度を超えていた。記録的な熱波がカリフォルニアを襲っている。しかし、目の前のメインストリートUSAに押し寄せる人波は、その熱気すらも凌駕する狂気を孕んでいた。招待客は1万5千人のはずだったが、実際にはその倍近い人間がこの「魔法の王国」に溢れかえっている。至る所で偽造チケットが横行し、人々は柵を乗り越え、文字通り雪崩を打ってこの夢の世界へと侵入してきたのだ。
足元に目を落とすと、舗装されたばかりの黒いアスファルトが熱で軟らかく溶け出し、貴婦人たちの細いハイヒールの踵を無情にも飲み込んでいる。彼女たちは片方の靴を失い、まるで童話のシンデレラのような皮肉な姿で、熱い地面を這うように歩いていた。さらに最悪なことに、配管工のストライキの影響で、園内の水飲み場は一つとして機能していない。ウォルト・ディズニーは究極の選択を迫られたという。「トイレを流せるようにするか、水飲み場を生かすか」。彼は衛生を選び、結果として、人々はこの炎天下で渇きに喘ぐことになった。コーラやレモネードの売店には絶望的なまでの列ができ、暴動寸前の怒号が飛び交っている。
それでも、正午を過ぎ、ABCの生放送が始まると、空気は一変した。
「この幸福な場所を訪れるすべての人々へ。ようこそ」
ウォルトのその声がスピーカーから流れた瞬間、それまでの混乱と苛立ちが、一時の静寂に包まれた。私はファンタジーランドへと続く跳ね橋の近くにいたが、そこから見えた光景を生涯忘れることはないだろう。眠れる森の美女の城の向こうから、色とりどりの風船が真っ青な空へと解き放たれた。それはまるで、これまでの灰色の現実を塗り潰していくかのような、鮮やかな色彩の暴力だった。
しかし、舞台裏は依然として惨状そのものだった。ファンタジーランドではガス漏れが発生し、エリア一帯が一時閉鎖された。トゥモローランドでは、アトラクションの不具合が相次ぎ、憤慨した父親たちが係員に詰め寄っている。マーク・トウェイン号は定員を遥かに超えた乗客を乗せたために、喫水線が危険なほど下がり、船体は泥水をかき分けながら重そうに揺れていた。今日という日は、のちに「ブラック・サンデー」と呼ばれることになるだろう。それほどまでに、このグランドオープンは不手際と不運に満ちていた。
だが、夕暮れ時、オレンジ色に染まり始めた園内を見渡したとき、私は奇妙な感情に支配された。
疲れ果て、泥に汚れ、喉を枯らした子供たちが、それでもなお、ミッキーマウスのパレードを見つめて目を輝かせている。溶けたアスファルトに靴を奪われた女性が、裸足のまま、笑いながら夫の腕に寄り添っている。そこにあったのは、完璧に管理された遊園地ではなく、未完成で、荒削りで、それでいて人々の想像力を強烈に刺激する「生き物」の姿だった。
ウォルトはかつて「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力が残っている限り、成長し続ける」と語った。今日のこの混乱さえも、その成長痛の一つに過ぎないのかもしれない。
閉園の時間が近づき、メインストリートを後にするとき、私は振り返って城を仰ぎ見た。ライトアップされたそのシルエットは、過酷な現実のただ中に突如として現れた蜃気楼のようでありながら、何よりも確かな存在感を放っていた。
1955年7月17日。私はこの日、一人の男の夢が、数多のトラブルと焦熱の太陽を突き抜けて、世界を永遠に変えてしまう瞬間を目撃したのだ。帰路につく車の中で、私はひどく乾いた喉を飲み下しながら、明日もまたこの場所に戻ってきたいと考えている自分に驚いていた。魔法は、もう始まっている。
参考にした出来事:1955年7月17日、アメリカ・カリフォルニア州アナハイムに世界初のディズニーランドがグランドオープン。当日は記録的な熱波、偽造チケットによる倍以上の入場者、水道故障、舗装したてのアスファルトが溶けるなどのトラブルが続出し、「ブラック・サンデー」と呼ばれた。この模様は全米に生中継され、テーマパークという概念を世界に定着させる決定的な一日となった。