【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
ニュージャージー州メンロパークの夏は、粘りつくような湿気と、絶え間なく鳴り響く虫の音に支配されている。深夜、ガス灯の炎が心細げに揺れる実験室の空気は、機械油の匂いと、何日も洗われていない男たちの汗、そして酸っぱい化学薬品の蒸気が混じり合い、肺の奥に重く溜まっていた。私は、目の前で机に屈み込む男の背中を見つめている。トーマス・アルヴァ・エジソン。この「メンロパークの魔術師」の頭の中では、今まさに、人類が数千年にわたって諦め続けてきた「時間の捕縛」という禁忌が、一本の線へと収束しようとしているのだ。
彼の指先は、グラファイトの粉で黒く汚れ、爪の間には真鍮の削り屑が詰まっている。エジソンは、数時間前から一言も発していない。ただ、使い古された黄色いノートに、執念を具現化したような細密な図面を引き続けている。カリカリという鉛筆の音だけが、静寂を切り裂いていた。彼が設計しているのは、当初は通信記録を自動化するための「話す電信機」のはずだった。しかし、ここ数日の彼の目は、単なる実用的な発明を超えた、未知の地平を捉えているように見えた。
「音を、刻むのだ」
不意に彼が、嗄れた声で呟いた。その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。彼はノートをこちらに向け、今しがた完成させたばかりの設計図を指し示した。そこには、らせん状の溝が彫られた真鍮製の円筒と、それを取り巻く薄い錫箔、そして先端に鋭い針を備えた振動板が描かれていた。
「空気の震えを、金属の針で物理的な傷として定着させる。そしてその傷を再び針でなぞれば、死者の声さえも蘇るはずだ。わかるか、これは記憶の化石を作る機械なのだよ」
エジソンの眼差しは、熱病に浮かされたかのように鋭い。彼は、振動板が声を受けて震える様子を、指で空中に描いてみせた。私はその図面を凝視した。それはあまりにも単純で、同時にあまりにも恐ろしい発想だった。もしこれが実現すれば、言葉は発せられた瞬間に消え去る運命から解放される。愛する者の囁きも、歴史を動かす演説も、あるいは子供の泣き声も、すべてはこの円筒の中に閉じ込められ、永遠を手に入れることになるのだ。
彼は設計図の隅に、独特の筆致でいくつかの指示を書き加えた。そして、スイス人の機械工ジョン・クルーシを呼び、その紙を手渡した。クルーシは図面を一瞥し、信じられないというように眉をひそめた。
「これが、本当に喋るというのですか?」
クルーシの問いに、エジソンはただ、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「作ってみてくれ。すぐにだ」
時計の針は深夜を回っていた。外では、夏の虫たちが死に物狂いで夜を震わせている。その鳴き声も、いずれはあの銀色の箔の中に閉じ込められる日が来るのだろうか。エジソンは椅子の背もたれに深く寄りかかり、満足げに目を閉じた。彼の耳には、まだこの世に存在しない機械が奏でる、初めての「記録された音」が聞こえているのかもしれない。
今日、1877年8月12日。このメンロパークの薄暗い一角で、人類は初めて「過去」を瓶詰めにする方法を手に入れた。この設計図が形を成したとき、世界から本当の意味での「沈黙」が失われることになる。私は、まだインクの乾ききらないその図面を眺めながら、肌寒さにも似た畏怖の念を抱かずにはいられなかった。歴史の歯車が、真鍮の円筒のように鈍い光を放ちながら、確実に回転を始めたのを感じている。
参考にした出来事:1877年8月12日、トーマス・エジソンが蓄音機(フォノグラフ)の設計図を完成。スイス人技師ジョン・クルーシに「2トンの重さがある機械でも、この図面通りに作れば動くはずだ」と言い添えて製作を依頼したとされる。