空想日記

8月24日:写し鏡の青空

2026年1月26日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

シアトルの湿り気を帯びた夜風は、どこか焦燥に似た期待を孕んでいる。
時計の針が零時を指す数時間前から、ベルビューのコンプUSAを取り囲む列は、もはや一つの生命体のように蠢いていた。私はその尾の末端に身を置き、手にした熱いコーヒーが冷めていくのを放置したまま、煌々と照らされる店内の明かりを見つめている。列に並ぶ男たちの顔は、一様に青白い街灯に照らされながらも、目は猟犬のように鋭く、獲物を待ち構える興奮に充満していた。

一九九五年八月二十四日。今日、世界は決定的に書き換えられる。
これまで私たちが対峙してきた、あの無機質な黒い画面と、点滅するカーソルという独裁者は、ついにその座を追われるのだ。記憶の片隅にある「C:¥>」という呪文を打ち込む日々が、今夜を境に博物館の展示品へと姿を変える。耳を澄ませば、どこからかローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」の旋律が漏れ聞こえてくるような気がした。マイクロソフトが投じた巨額の広告費、エンパイア・ステート・ビルを染め上げた三原色のライトアップ、そしてロンドン・タイムズ紙の無料配布。それら狂騒に近いプロモーションは、単なる製品の宣伝ではなく、一つの時代の幕引きを告げる弔鐘であり、同時に新世紀への産声でもあった。

零時。扉が開かれた瞬間の怒号に近い歓声は、私の鼓膜を震わせ、胸の奥底にある知的好奇心を激しく揺さぶった。
人々は我先にと店内へ雪崩れ込み、棚に積み上げられた鮮やかな青空のデザイン──「Windows 95」と刻印された重厚な箱を抱えていく。私もまた、ようやく手にしたその箱の重みに驚いた。厚いマニュアルと、複数枚のフロッピーディスク、あるいは最新のCD-ROMが詰まったその箱は、未来そのものの重量を宿しているように思えた。指先に触れるシュリンク包装の滑らかな感触。箱に描かれた白い雲と、どこまでも広がるようなスカイブルー。それは、煩雑なコマンドの世界から解放され、直感という翼を得るためのチケットだった。

自宅に戻り、書斎の古いデスクに腰を下ろす。モニターの電源を入れ、既存のOSを立ち上げる最後の手続きを踏む。馴染み深いMS-DOSの無愛想なテキストが流れていく。これが、この光景を見る最後になるだろう。
アップグレード版のディスクを挿入し、インストールが始まる。プログレスバーがじわじわと伸びていく時間は、まるで新しい大陸へと向かう航海のようだった。「プラグ・アンド・プレイ」という魔法のような言葉が、本当に実現するのか。ハードウェアを接続するたびにジャンパピンの設定に頭を悩ませていた苦行は、本当に過去のものになるのか。

そして、再起動の瞬間が訪れた。
漆黒の画面に、あのロゴが浮かび上がる。ブライアン・イーノが手がけたという、数秒間の幻想的な起動音がスピーカーから溢れ出した。深海から光り輝く海面へと浮上するような、あるいは教会の鐘が遠くで鳴り響くような、荘厳でいて慈悲深い調べ。
目の前に広がったのは、整理されたデスクトップと、画面左下に慎ましく、しかし確固たる意志を持って鎮座する「スタート」ボタンだった。

マウスを動かす。ポインタは滑らかに、私の思考をなぞるように画面を走る。
ウィンドウを開き、それを重ね、最小化し、また呼び出す。これまでは一つの作業を終えなければ次へ進めなかった電子の迷宮が、自由自在に行き来できる広場へと変わった。そして、付属の「Internet Explorer」のアイコンを見つめる。この小さな窓の向こうには、今この瞬間も膨張し続ける世界中の情報網が繋がっているのだ。もはやコンピュータは、一部の専門家や愛好家が弄ぶ計算機ではない。それは、あらゆる人間が外の世界へと飛び出すための、玄関口になったのだ。

窓の外では、シアトルの夜が明けようとしている。
白み始めた空の色は、先ほど手にしたパッケージの青色によく似ていた。
今日から、子供たちはマウスを握り、主婦たちは電子の海で手紙を交わし、ビジネスマンたちは物理的な距離を超越して繋がるだろう。この「Windows 95」という名のOSがもたらすのは、単なる操作体系の刷新ではない。それは、人間の認識の拡張であり、情報の民主化そのものである。
私は重い瞼をこすりながら、静かに、しかし力強く「スタート」ボタンをクリックした。
一九九五年八月二十四日。歴史という名の巨大なハードディスクに、消去不能な新たなセクタが書き込まれた。

参考にした出来事
1995年8月24日、Windows 95発売。マイクロソフト社が開発したパソコン用オペレーティングシステム(OS)で、それまでのMS-DOSベースの操作体系を一新し、デスクトップ上に「スタートボタン」や「タスクバー」を備えた洗練されたグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)を採用。インターネット接続機能の標準装備や、周辺機器を接続するだけで認識する「プラグ・アンド・プレイ」機能など、現代のパソコンの基礎を確立した。世界中で爆発的なヒットを記録し、IT社会の到来を決定づけた歴史的製品である。