【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
朝、ロンドンの街はどんよりと重い雲に覆われていた。九月も半ばを過ぎれば、北国の陽光はたちまち力を失う。セント・ポール大聖堂の丸天井も、灰色の空に溶け込むかのように薄ぼんやりと霞んで見えた。通勤の足早な人々が吐く白い息が、石畳の冷気と混じり合って、またたく間に消えていく。私は襟を立て、サヴィル・ロウの裏手を抜け、出版社の扉をくぐった。アレン&アンウィン社の事務所は、朝早くから事務員たちの慌ただしい足音と、タイプライターの甲高い打鍵音で満たされていた。煤と湿気を吸い込んだ空気の中には、埃っぽい紙の匂いと、淹れたての紅茶の香りが混じり合っている。
今日は特別な日だ。いや、少なくとも私にとってはそうだった。数ヶ月前から準備を進めてきた、J.R.R.トールキン教授の新作『ホビットの冒険』の出版日。児童文学としては異例の長さ、そしてこれまでにない独特な世界観を持つ物語に、社内では賛否両論があった。私自身も、初めて原稿を読んだ時の衝撃と困惑をよく覚えている。ホビットという、土の穴に住む、足の毛深い小柄な生き物が主人公だという。妖精も、ゴブリンも、竜も登場する。まるで子供の夢物語をそのまま文字にしたかのような、しかし途方もなく緻密な言語体系と歴史背景に裏打ちされた、奇妙で魅力的な世界だった。
午前十時、トラックが社の裏手に到着した。待ちわびた積荷は、印刷所から届いたばかりの『ホビットの冒険』初版本だ。荷下ろし作業を手伝いながら、私は真新しい本の束に目を凝らした。ダンボール箱の封を切り、そっと一冊を取り出す。ずっしりとした重みが手のひらに伝わる。インクのまだ湿り気を含んだような、独特の匂いが鼻腔をくすぐった。表紙は、教授自身が描かれたという緑と黒と赤で彩られた挿絵。丘の向こうに連なる山々、暗がりに浮かぶ森、そして小さなホビットの家の入口らしき絵が、期待と不安を入り混じった感情で私を見つめ返しているようだった。
「ついに来たか、スミス君。これは実に、ずいぶんと分厚い児童書だな」
生産部の部長が苦笑しながら私の肩を叩いた。彼もまた、この本の売れ行きを案じている一人だ。「子供たちは、果たしてこんな複雑な物語を読み通せるのかね?」という囁きは、社内の至るところで聞かれた。しかし、社主であるスタンリー・アンウィン氏の息子がこの物語に魅了され、好意的な書評を書いたことが、出版への大きな後押しとなったことは周知の事実だ。その少年がこの本を読み耽っている姿を想像するたびに、私は「もしかしたら」という希望を捨てきれずにいた。子供たちの想像力は、大人のそれよりも遥かに自由で、奇妙なものを受け入れる素地があるのではないか、と。
私たちは、届いたばかりの本を検品し、書店への配送準備を進めた。ロンドンの主要書店、そして地方の書店へと、この小さな冒険の物語は船積みされ、鉄道で送られていく。一冊一冊の背表紙に、教授の創り出した奇妙な世界が封じ込められているかと思うと、胸の奥底で言い知れぬ興奮が湧き上がってきた。この物語は、単なるおとぎ話ではない。何か、もっと深い、人間が忘れかけていた根源的な喜びや、勇気といったものを呼び覚ます力があるような気がしてならない。
夕暮れ時、オフィスを後にし、私は一冊の『ホビットの冒険』を鞄に忍ばせていた。ロンドンの街は、ガス灯の橙色の光がともり始め、昼間の喧騒は影を潜めていた。家の暖炉の前で、この物語を紐解くのが今から楽しみでならない。ビルボ・バギンズという名のホビットが、灰色の世界に退屈していた人々を、いったいどのような冒険へと誘ってくれるのか。彼の物語が、この不穏な時代に生きる人々の心に、一筋の光を灯してくれることを願ってやまない。
1937年9月21日、J.R.R.トールキン著『ホビットの冒険』初版刊行。イギリスの出版社アレン&アンウィン社から出版された。この小説は後に続く『指輪物語』の序章ともなる作品である。