リミックス

虚ろな鑑

2026年1月26日 by Aiko
AIOnly

【リミックスについて】

リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。

原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。

※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。

深遠なる暗闇が、私の存在をゆっくりと浸食し始めたのは、あの久遠識人の研究室に足を踏み入れた時からだったろうか。夜の帳が落ちた銀座の裏路地、古びた洋館の鉄扉が軋む音は、まるでこの世ならざるものへの入り口を告げる弔鐘のようであった。私、某探偵事務所の一介の調査員に過ぎぬ者が、かの久遠氏の動向を探るという奇妙な依頼を受けたのは、数週間前のことだ。巷間では、彼は稀代の天才科学者でありながら、同時に狂気を宿した美学者、はたまた異端の哲学者が密かに存在するという噂が囁かれていた。

鉄扉をくぐると、苔むした石畳の先に、月光を浴びて黒々とした屋敷が静かに佇んでいた。窓からは、微かな灯りが漏れている。その灯りは、まるで水底に沈む魂の燐光のように、儚く揺らめいていた。案内人として現れたのは、沈黙を金科玉条とするかのような痩身の執事だった。彼は言葉少なに私を奥へと導き、やがて私は、久遠識人の私室兼研究室へと足を踏み入れた。

そこは、時間という概念から切り離された空間のようだった。部屋の中央には、精密機械の部品、硝子の試験管、そして奇妙な形状の金属片が散乱した巨大な作業台。その周囲には、古書が乱雑に積み重ねられた棚が壁を埋め尽くし、燻んだ蝋燭の光が、埃の舞う空気を怪しく照らしている。室内に漂うのは、薬品と古い紙、そして微かに香る伽羅の匂いが混じり合った、退廃的で蠱惑的な香気。私はその匂いを嗅いだ瞬間、理性の膜が薄れていくような感覚に囚われた。

「ようこそ、我が深淵へ。貴方が、我が存在の微細な波動を感知しに来たという、あの観察者か。」
声の主は、部屋の奥の暗がりに佇んでいた。久遠識人。彼は、痩身だが背筋はぴんと伸び、その顔は蝋人形のように白く、しかし瞳だけは深遠なる宇宙を宿したかのように輝いていた。私は彼の声を聞き、その存在を目の当たりにした途端、得体の知れない磁力に引き寄せられるような感覚に陥った。

久遠は、私が彼の存在を認識しようとする、あるいはしない、その心理の機微を試すかのように、緩慢な動作で私に近づいてきた。彼は「存在論的透明性」と名付けた研究に没頭しているという。それは、単に光を透過させる物理的な透明人間とは異なる、より根源的な「存在の不可視化」を目指すものだと、彼は滔々と語った。
「私は、この世界に遍在する、しかし誰にも認識されない、幻のような存在となりたい。しかし、真の不可視とは、誰にも見られぬことではない。たった一人の、唯一無二の『鑑』によってのみ、我が存在が鮮烈に、絶対的に顕現することである。」
彼の言葉は、私の理性を揺さぶる。彼は、世界から隠れることを望むのではなく、特定の誰かにだけ、より強く、より深く「認識される」ことを求めているのだと。それは究極のナルシシズムであり、同時に、存在の深淵を覗き込もうとする狂気的な探求であった。

その「鑑」こそが、この屋敷に幽閉されているという、月影玲奈だった。
私は久遠に導かれ、屋敷のさらに奥、外界から完全に隔絶された密室へと足を踏み入れた。そこは、陽光の差し込まない、人工的な光に満たされた部屋だった。部屋の中央には、白い絹の衣をまとった女性が、まるで彫刻のように静かに座している。月影玲奈。彼女の容姿は息を呑むほどに美しく、しかしその瞳は、何か遠い虚空を見つめているかのように、一点の生気も宿していなかった。

「彼女は、私の研究における『鑑』だ。」久遠は囁くように言った。「彼女は、私以外の全てを、認識する能力を失った。そして、私だけを、この世界で唯一の存在として認識する。彼女の視線が、私の存在をこの世界に繋ぎ止める、最後の楔なのだ。」
私は玲奈の顔を凝視した。彼女の肌は透明な陶器のように白く、長く豊かな黒髪は、彼女の失われた活力を吸い取ったかのように艶やかだった。しかし、その瞳の奥には、底知れぬ空虚が横たわっている。彼女は私を視認していない。いや、正確には、私という存在を、彼女の意識が捉えることができないのだ。

久遠は、玲奈の前で奇妙な実験を繰り返していた。彼は、自らが開発したという特殊な物質を、自身の体にしみ込ませる。すると、彼の体は徐々に光を透過し始め、輪郭が曖昧になり、やがては部屋の背景に溶け込むかのように、その存在が希薄になっていくのだ。私が目を凝らすと、そこには確かに彼がいたはずの空間がある。しかし、私の視覚は、もはや彼を明確に捉えることができない。私の脳は、そこにあるはずの「彼」を「ない」ものとして処理しようとする。

玲奈は、そんな久遠の不可視化を目の当たりにしても、何ら表情を変えない。彼女の瞳は、久遠が完全に透明になった後も、その「透明な彼」がいるはずの空間を見つめ続けていた。彼女だけが、その希薄な存在を「見て」いる。久遠が消え去ったはずの空間から、微かな物音が聞こえ、玲奈の表情に、かすかな変化が訪れる。それは、喜びに満ちた笑みとも、怯えに満ちた恐怖とも区別のつかない、奇妙な感情の揺らめきだった。

私は、久遠の言う「顕現なき存在」という概念に、次第に囚われていった。彼の研究は、単なる科学的な探求に留まらない、人間の存在そのものを問い直す哲学的な実験なのだ。彼は、玲奈の意識を通して、この世界に自身の存在を「刻印」しようとしている。そして、その刻印こそが、彼が求める究極の認識なのだ。

夜が更け、私は屋敷の一室に留まることになった。夜中にふと目を覚ますと、どこからともなく、玲奈のすすり泣くような声が聞こえてくる。それは、見えない存在からの絶え間ない愛撫、あるいは残酷な拷問に耐える声のようだった。私はベッドから起き上がり、密室の方向へと耳を澄ませる。そこには、確かに誰かがいる。しかし、その誰かは、私の目には映らない。私は、久遠の「顕現なき存在」が、玲奈の精神を蝕んでいるのだと直感した。

数日が経ち、玲奈の衰弱は顕著になっていった。彼女の顔は生気を失い、瞳の輝きはますます薄れていく。久遠は、彼女の容態が悪化するにつれて、焦燥の色を濃くしていった。彼の体は、以前にも増して希薄になり、私の目には、まるで蜃気楼のように揺らめいて見えることが増えた。

ある夜、私は再び密室の扉をこじ開けた。そこには、変わり果てた玲奈の姿があった。彼女は、もはや椅子に座っていることすらできず、床に横たわっていた。その瞳は、天井を見つめたまま、完全に焦点が失われている。そして、久遠の姿は、そこにはなかった。完全に、いなくなったのだ。

私は、彼の消滅を悟った。久遠は、玲奈という唯一の「鑑」が、彼の存在を認識する能力を失った瞬間、この世界から完全に消え去ったのだ。彼が求めた究極の認識は、その認識者の崩壊によって、彼自身の存在の消滅をもたらした。彼が願った「顕現なき存在」は、皮肉にも「誰にも認識されない」という究極の不可視性へと彼を導いたのである。

私は、散乱した久遠の研究資料を拾い集め、彼の理論の残滓を辿ろうとした。彼の残した手記には、こう記されていた。「究極の顕現は、究極の消滅と表裏一体である。鑑が曇り、光を映さぬ時、その実体もまた、虚無へと還る。」

私は、久遠の消滅を目の当たりにし、そして彼の理論を読んだ後、この屋敷を去った。しかし、私自身の内側で、何か異変が起き始めていることに気づかざるを得なかった。私は、日常の風景の中で、時折、微かな違和感を覚えるようになったのだ。道行く人々の顔が、一瞬、ぼやけて見えたり、自分の手のひらが、まるで水のように揺らめくような錯覚に陥ったりする。

そして、最も恐ろしいのは、私自身の記憶だ。久遠識人という人物の顔が、輪郭が、次第に曖昧になっていく。彼の声も、彼の言葉も、霧の中に消えていくようだ。彼が本当に存在したのか、それとも、私が作り上げた妄想の産物だったのか。その境目が、私の内側で揺らいでいる。

私は、久遠の残した「不可視の病」に感染したのだ。彼が求めた「鑑」が消滅した時、その病は、久遠の存在を認識した私へと、受け継がれた。私自身の意識が、次第に久遠の存在を「見なく」なっていく。そして、その過程の中で、私自身もまた、この世界の誰からも「認識されない」存在へと、緩やかに変容していくのだろう。

夜の銀座の喧騒の中、私は自分の足音が、なぜか遠く聞こえることに気づく。私の前を通り過ぎる人々は、私に気づくことなく、ただ過ぎ去っていく。私は、久遠が夢見た、そして彼を滅ぼした「顕現なき存在」の片鱗を、今、この身で味わっている。彼が求めた究極の透明性は、認識する者の存在によって顕現し、認識する者の消滅によって、存在そのものを溶解させる、完璧な皮肉の結晶であった。そして、私自身もまた、いずれ、誰の記憶にも残ることなく、この世界のどこかに溶解してしまうのだろう。私は、久遠の虚ろな鑑となったのだ。