【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『トリストラム・シャンディ』(スターン) × 『吾輩は猫である』(夏目漱石)
吾輩は、いまだこの世に十全な生を享けたとは言い難い。あるいは、生を享けようと試みている最中に、他ならぬ主人のくしゃみによってその因果律が捩じ切られたのかもしれぬ。一般に、生物が自己の存在を確信するためには、第一に「誕生」という動かしがたい事実を過去の地平に据え置かねばならぬが、吾輩の歴史においては、その始源の一点が、主人の鼻腔内に発生した微細な埃の運動、すなわち生理的な偶然によって無期限に延期されているのである。主人はこれを「鼻梁における宇宙的破局」と呼び、吾輩はその破局の残滓として、この湿った縁側にうずくまっている。
主人の名は、苦沙弥(くしゃみ)という。彼はトバイアス・スターンが描いたあの偏屈な紳士たちの末裔でありながら、明治の空気を吸いすぎて肺を病んだ知的隠者の成れの果てである。彼の書斎は、知の集積所というよりは、むしろ「中断された思索」の墓場であった。主人は毎日、書斎の机に向かっては、自身の家系図の空白を埋めるべく心血を注いでいるが、その作業は遅々として進まない。なぜなら、彼は自身の曽祖父の膝の皿の形状が、後の家系の運命にどのような力学的影響を及ぼしたかという、極めて迂遠かつ形而上的な考察に囚われ、本筋に立ち戻ることができないからである。
「いいか、猫よ」と主人は、磨き抜かれた眼鏡の奥の眼光を、あろうことか吾輩の尻尾の付け根に向けて放つ。「物事の真理は常に周辺に宿る。中心とは、空虚を隠蔽するための便宜的な虚構に過ぎん。私が今、この万年筆の先から一滴のインクを滴らせるのを躊躇しているのは、その一滴が紙に触れた瞬間に発生する重力的摂動が、巡り巡ってロンドン塔の時計を狂わせる可能性を否定できないからだ」
吾輩は、あくびを一つして応える。主人の論理は、常に精密な歯車が噛み合いながら、一歩も前進しない永久機関のようである。彼は、一冊の書物を読破するために、その著者の乳母の初恋の相手が好んだチーズの銘柄まで調査しなければ気が済まない性質(たち)であった。これを彼は「徹底的因果論」と称しているが、傍から見れば、単なる「道楽(ホビー・ホース)」の暴走に他ならない。
ある日、主人のもとに迷亭という名の、これまた正体不明な友人が訪れてきた。彼は主人の「鼻梁の哲学」を嘲笑うために生まれてきたような男で、常に実体のない冗談を真実の衣に着せて語る。迷亭は、主人の机上に広げられた書きかけの原稿――『ホムンクルスの権利について』という表題が踊っている――を覗き込み、ニヤリと笑った。
「やあ、苦沙弥君。君のホムンクルスは、いまだに試験管の中で自身の存在理由について論争を続けているようだね。これでは、彼が実際に手足を得て歩き出すのは、太陽系が冷え切った後のことになる。もっとも、その頃には『歩く』という概念そのものが、古典物理学の遺物として博物館に収蔵されているだろうが」
主人は顔を赤らめ、空咳を一つした。「迷亭、君は現象の表面を滑っているだけだ。私は、このホムンクルスが『最初の一歩』を踏み出す際に抱くであろう、宇宙的孤立感についての予備的な注釈を執筆しているのだ。注釈が本文を凌駕してこそ、文学は完成する。君が愛読するような、起承転結のはっきりした物語など、知性の敗北以外の何物でもない」
この二人の会話を聞きながら、吾輩は自身の存在の希薄さに思いを馳せる。吾輩は猫である。名前はまだない。しかし、名前がないのは、命名されるべき本質が、主人の終わりのない脱線によって常に先送りされているからだ。主人が「吾輩」と呼ぼうとするたびに、彼は「名前」という音節が持つ音響学的な起源について思索を始めてしまい、結局、吾輩は未定義のまま放置される。
物語は、常に始まろうとする瞬間に、その重みに耐えかねて崩落する。主人の家系図は、今や曾祖母の飼っていたカナリアの羽の枚数に関する統計資料へと変貌し、主人が書こうとしていた自叙伝は、執筆を開始する前の晩に食べた蕎麦の消化過程に関する医学的考察に飲み込まれてしまった。
「猫よ、見ろ」と主人は突然、何かに取り憑かれたように叫んだ。「私はついに、究極の論理に到達した。存在とは、語られないことの集積である。私がこの原稿を書き終えないことこそが、この原稿の内容が真実であることを証明しているのだ。書かれた言葉は死ぬ。しかし、書かれざる言葉は、無限の可能性として永遠に生き続ける」
その瞬間、主人の鼻腔に再び宇宙的な摂動が生じた。凄まじいくしゃみである。その風圧によって、机上の原稿、数千枚に及ぶ注釈、そして主人の「道楽」の結晶は、一瞬にして書斎の床に散乱し、混沌という名の秩序の中に埋没した。
主人は呆然としてその光景を眺めていた。だが、その表情には、絶望ではなく、一種の清々しい悟りが浮かんでいた。彼は、自身が構築しようとした壮大な論理の伽藍が、一回の生理現象によって崩壊したことに、最高の皮肉を感じ取ったのであろう。
「完璧だ」と主人は呟いた。「私の人生は、この一回のくしゃみによって、ついに完結した。語るべきことは何もない。なぜなら、すべては語られる前の混沌へと回帰したからだ」
吾輩は、床に散った原稿の山の上に飛び乗り、一番上にあった白紙のページを眺めた。そこには、主人の万年筆が滑った跡のような、一筋の歪な線が引かれているだけだった。それは、家系図の続きのようにも見えたし、あるいは主人の鼻梁の曲線のようにも見えた。あるいは、それは、一度も語られることのなかった吾輩の「名前」の最初のアルファベットだったのかもしれぬ。
しかし、吾輩は知っている。この完璧な論理的帰結こそが、最大の罠であることを。主人は「書かないこと」で勝利したと信じているが、その瞬間、彼は自身の存在理由を喪失したのである。なぜなら、彼は「書くこと」に執着する変人としてのみ、この世に繋ぎ止められていたからだ。
主人の体から、生命の脈動が薄れていくのを吾輩は感じ取った。彼は、自身の構築した「中断の哲学」という hobby-horse に跨がったまま、静かに意識の地平へと消えていく。彼が最後に見たのは、おそらく、完璧に分類され、注釈を付けられ、そして一文字も書かれていない、透明な宇宙の地図であったろう。
吾輩は、動かなくなった主人の膝の上で丸くなる。外では、無関心な冬の日差しが、縁側を等分に照らしている。吾輩もまた、この物語が閉じられるとともに、定義されないまま消え去る運命にある。だが、それで良い。吾輩は、主人が生涯をかけて証明しようとした「不在の真理」を、その身を以て体現しているのだから。
物語は終わる。だが、それは始まらなかったから終わるのではない。始まろうとする努力そのものが、物語のすべてであったがゆえに、結末などという野蛮な断罪を必要としなかっただけなのだ。吾輩は、もう二度と開かれることのない主人の眼窩を見つめながら、存在しない名前で、存在しない神に祈りを捧げる。
これが、吾輩の、そして主人の、完璧に無意味で完璧に論理的な、最後の一瞥である。