【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
戸外は刺すような寒気だ。ヒューロン川の流れは厚い氷に閉ざされ、立ち並ぶ穀物倉庫の屋根には重苦しい雪が積もっている。オハイオ州ミランの町は、まるで白い息の中に沈み込んでいるかのようだ。私は暖炉の前に座り、パチパチとはぜる薪の音を聞きながら、階上の様子を窺っている。ナンシーの苦悶の叫びが時折、古びた床板を抜けて私の胸を締め付ける。
一八四七年、二月十一日。この冬は格別に厳しい。
私は昨日から、家中のろうそくの芯を整え、ランプの油を補充する作業を繰り返していた。窓の外では、冷たい風が風見鶏を鳴らしている。この家を建てたとき、私は家族の安息を願ったが、今日ほどその静寂が重く感じられる日はない。私はただの人間だ。カナダでの反乱に敗れ、この地へ逃れてきた流れ者の一人に過ぎない。製材や商売で糊口を凌いではいるが、この手にあるのは泥と木屑に汚れた現実だけだ。
夜が深まるにつれ、家の中には獣脂の匂いと、ハーブを煮出す特有の香りが立ち込めた。近所の産婆が忙しなく階段を行き来し、お湯を運ぶ私の手は震えていた。ナンシーは強い女性だ。教師をしていた頃のあの理知的な瞳が、今は苦痛に耐える激しい光を宿している。七人目の子供。先行した三人の子供たちは、すでに神の御許へと去ってしまった。この冷たい闇の中で、新たな命を繋ぎ止めることがどれほど困難で、どれほど尊いことか。
「生まれたよ、サミュエル」
産婆のその声が、静寂を切り裂いた。私は階段を駆け上がった。寝室の扉を開けると、そこには冬の月光が薄く差し込む中、産着に包まれた小さな塊があった。
赤ん坊は、ひどく大きな頭をしていた。産婆が「脳の病気ではないか」と密かに囁くのが聞こえたが、私は構わずその子を抱き上げた。赤ん坊の肌はまだ赤らみ、生命の熱を帯びていた。私の荒れた手のひらで、彼の小さな心臓が打つ鼓動が伝わってくる。その弱々しくも確かなリズムは、まるで未知の機械が刻む秒針のようでもあり、あるいは遠い未来から届く何らかの信号のようでもあった。
ナンシーが疲れ果てた顔で微笑み、その子の名を呼んだ。
トーマス・アルヴァ。
私の友人であるキャプテン・アルヴァ・ブラッドリーから名を取り、私たちは彼を「アル」と呼ぶことに決めた。
私は窓際に寄り、腕の中の小さな命を外の闇に向けた。今、このミランの町にある明かりといえば、家々の窓から漏れる微かなランプの火と、星の瞬きだけだ。夜はあまりにも深く、人々はその暗闇を恐れ、ただ日の出を待つしかない。だが、この子の瞳がいつか、この世界の闇を照らす何かを見出すことはあるだろうか。
アルが小さな手を動かし、私の指を握りしめた。その力強さに、私は言いようのない戦慄を覚えた。この子の耳には、私には聞こえない音が聞こえているのかもしれない。この子の目には、私が見ることのできない光が映っているのかもしれない。私はただ、この小さな命が、この厳しい冬を生き延びてくれることだけを神に祈った。
暖炉の火が小さくなり、新しい薪をくべる必要があった。私はアルをナンシーの腕に戻すと、再び階下へと降りた。戸外の風はいよいよ激しさを増し、家を揺らしている。しかし、私の心には、先ほどまでの不安はなかった。この小さな家の中に灯った新たな光が、どれほど微かであっても、決して消えることはないという奇妙な確信があった。
一八四七年二月十一日。トーマス・アルヴァ・エジソン。
彼は今、私の腕の中から、その長い旅路の一歩を踏み出したのだ。
参考にした出来事:1847年2月11日、発明家トーマス・アルヴァ・エジソン誕生。アメリカ合衆国オハイオ州ミランにて、父サミュエルと母ナンシーの間に第七子として生まれる。幼少期は「アル」の愛称で呼ばれ、異常に大きな頭部を持っていたことから脳の疾患を疑われたという逸話が残っている。後に白熱電球の改良や蓄音機、映写機などの発明により、世界の生活様式を一変させることとなる。