【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
メンロパークの冬は、皮膚を刺すような冷気と共に、常に石炭の煤と潤滑油の匂いに包まれている。今朝もまた、窓硝子の内側を白く覆った霜を指先で拭い、外の荒涼たる景色を眺めることから一日が始まった。だが、今日の空気には、凍てつく冬の厳しさとは別の、張り詰めたような緊張感が混じっている。
机の上に置かれた、合衆国特許局からの公文書。そこには「音響を記録し再現する装置」という、簡潔ながらも世界の理を覆す文言が並んでいた。一八七八年二月十九日。トーマスが数ヶ月前から取り憑かれたように改良を重ねてきた「フォノグラフ」が、法的に彼の発明として認められた記念すべき日だ。
私の目の前にあるのは、真鍮のシリンダーと、それを回すための不格好なハンドル、そして薄い錫箔を巻いた回転体という、一見すれば単なる粗末な機械に過ぎない。しかし、これがひとたび稼働すれば、人間が数千年の歴史の中で決して成し得なかった奇跡を具現化する。過ぎ去った時間を、空気の震えとして氷結させ、再び解凍してみせるのだ。
数日前、トーマスがこの機械の前に座り、震えるような低い声で「メリーさんの羊」を口ずさんだ時の光景が、今も網膜に焼き付いている。彼は子供のような好奇心を剥き出しにしながら、一方で冷徹な観察者の目を失わずにハンドルを回した。針が錫箔を刻む、チリチリという微かな摩擦音。そして録音が終わり、再び針を起点に戻してハンドルを回した瞬間、機械のラッパの奥から、確かに彼の声が、少しばかり掠れた、幽霊のような響きを伴って這い出してきたのだ。
あの時、研究所にいた全員の動きが止まった。皆、呼吸をすることさえ忘れていた。死んだはずの数秒前の過去が、現在に蘇った瞬間だった。言葉は発せられた瞬間に消え去るもの――。それが人類誕生以来の絶対的な掟であったはずだ。だが、トーマスの手によって、その掟は粉砕された。声は、石に刻まれた碑文のように、物理的な痕跡としてこの世に留まる権利を得たのである。
今日、特許が下りたという報せを受けても、トーマス自身はそれほど昂ぶった様子を見せなかった。彼はただ、手垢と油で汚れた指先で、既に次の改良案をスケッチしている。真鍮のシリンダーを蝋の管に変えれば、より鮮明に、より長く音を保持できるのではないか。彼の脳内では、もはや今日の成功は過去のものとなり、まだ見ぬ未来の振動が鳴り響いているのだろう。
日が暮れ、ガス灯の青白い炎が実験室を照らし始める頃、私は独り、静まり返った部屋でフォノグラフの前に立った。錫箔には、幾千もの細かな溝が刻まれている。それは、音という実体のない現象が残した、生々しい爪痕だ。
この発明が普及したとき、世界はどう変わるのだろうか。遠く離れた愛する者の声、今は亡き偉大なる歌手の歌声、あるいは歴史を動かす指導者の演説。それらは肉体が朽ち果てた後も、この金属の回転体の上で永遠に生き続ける。それは救いであると同時に、どこか薄気味悪い、神の領域を侵犯するような業の深さを感じさせずにはいられない。
外では風が鳴っている。かつてその風の音は、ただ吹き抜けて消えるだけだった。しかし今、私は知っている。あの風の慟哭さえも、私たちは捕らえ、籠の中の鳥のように閉じ込めておくことができるのだ。
メンロパークの魔術師。人々はトーマスをそう呼ぶ。だが、私には彼が、時間という不可逆の流れに逆らうための、孤独な反逆者のように見える。今夜も彼は、眠ることを忘れたかのように、深夜まで続く電信の音と機械の軋みの中に身を投じている。特許という公的な印章は、彼にとってのゴールではなく、終わりのない音の迷宮への、正当な招待状に過ぎないのだ。
参考にした出来事:1878年2月19日、トーマス・エジソンが蓄音機(フォノグラフ)の特許を取得。音を記録し再生する世界初の装置として、科学史・文化史において極めて重要な転換点となった。