【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
三月の夜気は、未だ冬の名残を孕んで刃のように鋭い。イギリス、バースのニュー・キング・ストリート十九番地。私の家の裏庭に据えられた自作の七フィート反射望遠鏡は、漆黒の闇の中で冷徹な獣のように蹲っている。吐く息は白く濁り、接眼鏡に触れる指先の感覚はとうに失われていたが、私の心はこれまでにない熱を帯びていた。
隣では、妹のカトリーヌが厚い外套に身を包み、冷えた指で羽ペンを握り締めている。私が読み上げる座標と等級を、彼女は不平一つ言わずに記録し続けてくれる。庭を囲む石壁の向こうでは、街の喧騒はとうに止み、聞こえるのは時折遠くで響く馬車の轍の音と、望遠鏡の架台が微かに軋む音だけだ。
今夜の目的は、ふたご座の付近にある微光星の組織的な走査であった。私は自ら鏡面を研磨し、何百時間もかけて磨き上げた六インチの主鏡を信じている。市販の望遠鏡では決して捉えられぬ、天の深淵に潜む微細な真実を、この鏡ならば拾い上げることができるはずだ。
十一時を回った頃だったろうか。ふたご座のH星に近い領域をゆっくりと掃天していた私の目に、一つの奇妙な光が飛び込んできた。
「止めてくれ、カトリーヌ」
私の声は、夜の静寂に低く響いた。視野の中心に、周囲の針で突いたような鋭い恒星とは明らかに性質の異なる「何か」が浮遊していた。それは点ではない。極めて微かではあるが、境界のぼやけた、肉厚な円盤状の形態を有していた。
私は慎重に倍率を上げた。二百二十七倍から四百六十倍へ。もしそれがただの恒星であれば、倍率を上げても像は拡大されず、大気の揺らぎによって瞬きが激しくなるだけだ。しかし、この天体は違った。倍率を上げるに従い、その輪郭は明らかに膨張し、ぼんやりとした青白い円盤が姿を現したのである。
「恒星ではない……」
私の呟きに、カトリーヌが顔を上げた。彼女の瞳には戸惑いと、それ以上の期待が宿っている。
再び接眼鏡を覗き込む。それは星図には記載されていない。彗星だろうか。しかし、彗星特有の尾も、核を取り巻くコマも見当たらない。それはあまりに静かに、そしてあまりに傲然と、古来より人類が「世界の果て」と信じて疑わなかった土星の外側、その空虚な暗闇の中に鎮座していた。
私は接眼鏡から目を離し、冷え切った夜空を仰ぎ見た。
かつて古代の賢人たちからコペルニクス、ケプラー、そしてニュートンに至るまで、太陽系の境界は土星という不動の門によって閉ざされていた。その先にあるのは、測り知れぬ距離に隔てられた恒星たちの世界であると誰もが信じていた。だが今、私の目の前にあるこの奇妙な光は、その境界線が単なる人間の無知によって引かれた仮初のものに過ぎないことを告げている。
震える手で、私は再び微細な調整ノブを回した。九百三十二倍。像は大きく、しかし淡く広がる。それはもはや一点の光ではなく、一つの「世界」としての質量を持ってそこに存在していた。
もしこれが、土星のさらに外側を巡る新たな惑星であるならば。
その考えが脳裏を掠めた瞬間、背筋に電流のような戦慄が走った。それは神が創りたもうた宇宙の図面を、人類が初めて書き換える瞬間を意味する。この小さな庭から、数千年にわたって固定されていた太陽系の概念が、音を立てて崩れ去ろうとしているのだ。
「カトリーヌ、日付を、そして時間を正確に記録するんだ」
私は、凍てつく闇の中で確かに感じていた。私の指先が、文字通り宇宙の地平を押し広げている感覚を。
今夜、私はただの観測者ではない。私は、全人類がこれまで一度も目にしたことのない、未知なる深淵の先触れとなったのだ。望遠鏡の筒の向こう側に広がる、冷たく、そして美しい青き孤独。それが何であるかを証明するには、まだ幾夜もの執拗な追跡が必要だろう。だが、私の魂は既に知っている。
一七八一三月十三日。
この夜を境に、世界は二度と昨日までと同じ広さではなくなるのだ。
参考にした出来事:1781年3月13日、ウィリアム・ハーシェルによる天王星の発見。イギリスの音楽家であり天文学者であったハーシェルが、自作の高性能な反射望遠鏡を用いてふたご座の付近を観測中に、恒星とは異なる円盤状の天体を発見した。当初は彗星と考えられたが、後の観測と軌道計算により、土星の外側を公転する太陽系第七惑星であることが判明し、古代以来不変とされていた太陽系の境界を大きく広げる歴史的発見となった。