空想日記

3月1日:原初の記憶を封じ込める署名

2026年1月11日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

ワシントンの湿った重い空気が、朝から部屋の中に停滞している。三月に入ったというのに、窓の外を往来する馬車の車輪が跳ね上げる泥は依然として冷たく、この都市特有の湿気を含んだ寒さが外套を通り抜けて肌を刺す。私はペンを置き、指先に残るインクの汚れを眺めながら、先ほど届けられた知らせの内容を反芻していた。

ユリシーズ・S・グラント大統領が、先ほど議事堂で一つの法案に署名した。

それは「イエローストーン公園法」と呼ばれる、かつて誰もが耳にしたことのない性質の法律だ。これにより、ロッキー山脈の奥深くに広がるあの人跡未踏に近い荒野は、個人の所有や開発から永遠に切り離され、アメリカ合衆国、ひいては全人類の「公衆の公園、あるいは遊楽地」として確保されることになった。世界で初めて、国家が風景そのものを守るために立ち上がった瞬間であった。

目を閉じれば、昨年の夏、フェルディナンド・ハイデン博士の探検隊に同行して目撃したあの光景が、驚くほどの鮮烈さをもって脳裏に蘇る。

鼻を突く硫黄の匂い、大地の底から響く不気味な唸り声。突如として天高く噴き上がる熱水の柱は、太陽の光を浴びて無数の真珠のように輝いていた。サファイアよりも深い青を湛えた温泉の池は、その縁を鮮やかな黄色や橙色の鉱物が縁取り、まるで地上のものとは思えない色彩の暴力で我々の視覚を圧倒した。あの場所では、時間が現代のそれとは異なる理で流れているように感じられたものだ。

地元の猟師たちが「地獄の釜の底が抜けたような場所だ」と語っていたのを、我々は最初、酒場の大法螺だと笑い飛ばしていた。しかし、実際にあのグランド・キャニオンの深い谷を見下ろしたとき、黄金色に輝く岩壁が夕日に染まる様を目の当たりにしたとき、我々は沈黙するしかなかった。そこには、人間の言葉で記述するにはあまりに巨大で、あまりに神聖な自然の意志が剥き出しになっていた。

我々が持ち帰ったウィリアム・ヘンリー・ジャクソンの写真や、トーマス・モランの描いた壮麗な水彩画が、東部の政治家たちの心を動かしたのだと思う。彼らもまた、あの人智を超えた美が、鉄道の敷設や金鉱掘りのシャベルによって無残に引き裂かれることを恐れたのだろう。文明の名の下にすべてを消費し尽くすアメリカという若い国家が、初めて「残す」という選択をした。それは一つの奇跡に近い。

今日、この署名をもって、あの場所は永遠に守られる。千年の後も、あの巨大な噴水は今日と同じように咆哮を上げ、グリズリーは深い森を闊歩し、エルクは静かに川辺で水を飲むだろう。未来の子供たちは、舗装された道路や煤煙にまみれた都市の喧騒から離れ、かつてこの惑星が持っていたありのままの姿、神が創造した直後の熱を帯びた大地に触れることができるのだ。

しかし、一抹の寂寞も感じざるを得ない。あの荒野を「公園」と呼ぶことは、どこかあの荒々しい生命力を去勢してしまうような響きを伴う。地図に境界線を引き、法律で縛ることでしか守れないほど、我々の文明は強欲になってしまったのか。インディアンたちが精霊の宿る地として畏怖したあの場所は、これからは「公共の資産」として管理されていく。

窓の外では、大統領の署名を祝うような華やかな喧騒はない。官僚たちは淡々と事務をこなし、通りを行く人々は自分たちの生活に追われている。しかし、ここから数千マイル離れた西の地では、今も雪に覆われた山々の懐で、古の熱水が静かに噴出の時を待っているはずだ。

私は再びペンを取り、日記の末尾にこう記した。

「我々は今日、土地を所有する権利を捨て、その代わりに見ることも触れることもできないはずの『永遠』という遺産を手に入れた」

インクが乾くのを待ちながら、私は遠いイエローストーンの空を思い描く。そこには、どんな法律も、どんなペン先も届かない、圧倒的な沈黙が支配する宇宙が広がっている。

参考にした出来事:1872年3月1日、イエローストーン国立公園の設立。アメリカ合衆国大統領ユリシーズ・S・グラントが、イエローストーン公園法(Yellowstone Park Act)に署名し、ワイオミング、モンタナ、アイダホの3州にまたがる地域を世界初の国立公園として指定した。これは自然保護の概念を法的に確立した画期的な出来事とされる。