【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
長い、あまりに長い旅路路だった。ボストンのパーキンス盲学校を発ってから、車窓を流れる景色は冬の厳格な装いを脱ぎ捨て、南へと下るにつれて湿り気を帯びた土と、萌芽の予感に満ちた生温かい風へと変わっていった。アラバマ州タスカンビア。この静謐な、ともすれば停滞した空気の流れる町が、私の新たな戦場、あるいは聖域となるのだろうか。
駅で私を迎えたケラー大尉の馬車に揺られながら、私は何度も手元の鞄を強く握りしめた。中には、パーキンスの子供たちがヘレンのためにと贈ってくれた、精巧な衣装を纏った人形が入っている。そして、私の胸の奥には、かつて私自身が光を失い、そして手術によってわずかな光を取り戻したという、あの言葉にしがたい暗澹たる記憶と、それゆえの使命感が疼いていた。私は、私を暗闇から救い出してくれた恩師ハウ博士の教えを、この見知らぬ土地の、見知らぬ少女に繋がなければならない。
アイビー・グリーン。ケラー家の邸宅は、蔓科の植物が絡まり、庭園には木々の息吹が満ちていた。馬車を降り、玄関へと続く階段を見上げたとき、私はそこに、一人の小さな影が立っているのを見た。
それが、ヘレンだった。
彼女は動かなかった。だが、彼女は「聴いて」いた。耳でではなく、足の裏から伝わる微かな振動と、空気の揺らぎで、見知らぬ者の到来を察知しているのだ。彼女の表情には、子供らしい無邪気さは微塵もなかった。あるのは、出口のない迷宮に閉じ込められた者が抱く、焦燥と、周囲に対する剥き出しの警戒心だけだった。
私が近づくと、彼女は荒々しく手を伸ばし、私の顔や服を探り始めた。その指先は驚くほど細く、そして力強い。彼女は私の存在を、嗅覚と触覚だけで解体し、再構築しようとしている。彼女の指が私の頬を掠め、私のペチコートを強く引っ張ったとき、私はその手に宿る猛烈な知性を感じて戦慄した。この子は、ただ単に「聞こえず、見えない」のではない。その内側に、表現されることを待つ巨大な宇宙を抱え、それが外に出られずに暴れ狂っているのだ。
彼女は私の鞄を奪い取るようにして開き、中から人形を取り出した。彼女の指が人形の顔をなぞり、ドレスの質感を確認する。その刹那、彼女の顔に一瞬だけ、戸惑いと好奇心が混ざり合ったような色が差した。私は迷わず彼女の右手を取り、その掌に、私の指を押し当てた。
D-O-L-L。
指文字をなぞらせる。彼女は最初、不審そうに手を引っ込めたが、やがて私の動きを模倣するように、彼女自身の指を動かし始めた。もちろん、彼女はそれが「人形」という概念を示す記号であることなど、まだ微塵も理解していない。ただ、私の指の動きを奇妙な遊びか、あるいは新しい接触の儀式として模倣しているに過ぎない。
だが、その瞬間、私の指先と彼女の掌が触れ合ったあの感触を、私は生涯忘れることはないだろう。それは、冷たく閉ざされた氷の壁に、一筋の熱を帯びた指が触れた瞬間だった。
夕食の席での彼女は、およそ文明化された子供とは言い難いものだった。皿から手掴みで食べ物を奪い、自分の思い通りにならないと分かると、獣のような叫び声を上げて床に転がり、暴れた。家族はそれを憐れみという名の諦念で見守っていたが、私はそれを受け入れるつもりはない。同情は彼女を救わない。必要なのは、規律と、そして彼女の魂を繋ぎ止めるための言葉だ。
夜、あてがわれた部屋のランプを消し、ベッドに横たわると、窓の外から春を呼ぶ風の音が聞こえてきた。階下からは、時折、彼女が壁を叩くような鈍い音が響いてくる。
私は今日、彼女という名の深い霧に包まれた島に上陸した。明日からは、一本ずつ、その霧の中に杭を打ち込んでいかなければならない。彼女が抱える沈黙の重さに押し潰されそうになる瞬間もある。だが、あの掌に残る、私の指文字を追おうとした微かな震え。あれこそが、彼女の魂が発した救いへの叫びだったと信じている。
1887年3月3日。この日は、私の人生が始まった日であり、そして一人の少女が人間としての光を求める旅を始めた、記念すべき日として刻まれるだろう。
参考にした出来事:1887年3月3日、家庭教師アン・サリバンが、視覚と聴覚を失った少女ヘレン・ケラーの住むアラバマ州タスカンビアのケラー家を初めて訪れた。この出会いは、後に「奇跡の人」と呼ばれるヘレンの教育の始まりであり、二人の数十年にわたる献身的な関係の第一歩となった。