空想日記

4月19日:砂塵と熱狂の長距離走

2026年1月15日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

アシュランドの朝は、春の到来を告げるにはあまりに肌寒く、湿った空気が肺の奥まで入り込んできた。メトカーフの製粉所近く、未舗装の街道に集まったのは、私を含めてわずか十五人。誰もが期待と、それ以上に、これから挑む未知の距離への得体の知れない恐怖を瞳に宿していた。昨年のアテネ五輪で、あのギリシャの羊飼いが成し遂げたという伝説的な疾走。その「マラソン」という名の熱病が、大西洋を越えてこのマサチューセッツの地に降り立ったのだ。

スターターを務めるトム・バークが、自身の踵で泥土の上に一本の線を引いた。それが我々の出発点だった。号砲の代わりに響いたのは、乾いた叫び声だ。一斉に駆け出した我々の足元から、細かい砂塵が舞い上がる。重い布製のシャツが肌にまとわりつき、履き慣れたはずの革靴が路面の礫を容赦なく足裏に伝えてくる。

アシュランドからボストンまで、およそ二十五マイル。想像を絶する道のりだ。最初は威勢よく飛び出した連中も、フレーミングハムを過ぎ、ネイティックの緩やかな坂に差し掛かる頃には、その足取りに隠しようのない疲労の色が混じり始めた。沿道には、この奇妙な催しを一目見ようと、近隣の農家や町の人々が集まっている。彼らは手に手に日曜日用の帽子を振り、「行け!」「負けるな!」と声を張り上げた。馬車の轍に足を取られそうになりながら、私はひたすら前を行く背中を追った。

ニュータウンの丘に差し掛かった時、私の脚はすでに棒のようになり、一歩踏み出すごとに針で刺されるような激痛が走った。肺は焼け付くように熱く、喉は砂を噛んだように乾ききっている。だが、不思議と意識は研ぎ澄まされていた。鼻を突くのは、沿道の馬車が撒き散らす馬糞の匂いと、自分自身の体から噴き出す汗の臭気。耳元を通り過ぎるのは、荒い呼吸音と、硬い土を叩く靴音だけだ。

先頭を走るのはニューヨークのジョン・マクダーモットだった。彼の走りは、もはや人間のそれというよりは、精巧な機械のようだった。ボストンの市街地に入ると、人々の熱狂は最高潮に達した。石畳の路面は、これまでの土の道とは比較にならないほど硬く、関節に響く。沿道の建物からは万国旗が揺れ、見物人の叫び声が地鳴りのように腹に響いた。

アービングトン通りのフィニッシュラインが見えたとき、私の視界は白く霞んでいた。ようやく足を止めたとき、そこには先にゴールしたマクダーモットが、仲間たちに支えられながらも、誇らしげに立っていた。彼の足は血と水ぶくれで無惨な姿だったが、その顔には、人類で初めてこの過酷な試練を乗り越えた者だけが許される、崇高な悦びが刻まれていた。

私は、崩れ落ちるように路傍に座り込んだ。喉を通り過ぎる冷たい水の一滴が、これほどまでに甘美なものだとは知らなかった。我々は今日、確かに歴史の一頁を、その足跡で刻んだのだ。マサチューセッツのこの埃っぽい街道は、いつの日か、世界中の走者たちが憧れる聖地となるのではないか。そんな予感に浸りながら、私は震える指でこの日記を記している。身体は悲鳴を上げているが、心には、かつてない達成感という名の炎が灯っている。

参考にした出来事:1897年4月19日、第1回ボストンマラソンが開催。アテネ五輪の翌年に、ボストン体育協会(BAA)の主催で行われた。アシュランドからボストンのアービングトン通りまでの約24.5マイル(約39.4キロ)で競われ、15名が参加し、ジョン・J・マクダーモットが2時間55分10秒の記録で初代優勝者となった。現在は「パトリオッツ・デー(愛国者の日)」の恒例行事として世界的に知られている。