【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
ワシントンD.C.の春は、湿り気を帯びた風とともにやってくる。ポトマック河畔の桜はすでにその盛りを過ぎ、萌え出たばかりの若葉が、この地区に住む我々の上品な生活を祝福するかのように輝いている。午前零時を回り、日付が二十九日に変わった頃、二十二番街千二百十七番地の我が家は、静かな、しかし確かな緊張感に包まれていた。
私は寝室の扉の前に立ち、糊のきいたシャツの襟元を正した。ホワイトハウスの晩餐会で大統領に給仕する時でさえ、これほどまでに指先が震えることはなかった。私はジェームズ・エドワード・エリントン。人びとは私を丁寧な男だと評し、礼儀作法に厳しい男だと呼ぶ。だが、今この瞬間、扉の向こうで産みの苦しみに耐えている妻デイジーの前では、私の積み上げてきた矜持など、春の突風に舞う花びらほどに脆い。
部屋からは、時折、デイジーの低い呻き声と、付き添いの産婆の落ち着いた声が漏れ聞こえてくる。私は壁にかかった時計の針が刻む音に耳を澄ませた。規則正しい、単調な、しかし何よりも厳粛なリズム。それはまるで、これから生まれてくる魂が奏でる序曲を待つ、指揮者のタクトのようでもあった。
我がエリントン家は、決して裕福な家柄ではない。しかし、私はこの家の主として、家族には最高の教育と、気品ある環境を与えると誓っている。我々黒人にとって、この街で生きていくということは、常に背筋を伸ばし、自らの価値を証明し続けることに他ならない。私は息子であれ娘であれ、この世に生を受けた瞬間から、一人の高貴な人間として、誰からも尊敬されるような「貴族」のごとき振る舞いを教えていくつもりだ。
夜が白み始め、窓の外で小鳥たちがさえずり始めた。朝の光が、磨き上げられた調度品に反射し、部屋に柔らかな色彩を投げかけている。その時だった。
鋭く、そしてどこか旋律的な産声が、静寂を切り裂いた。
私はたまらず扉を開けた。部屋の中には、独特の血の匂いと、春の湿った空気が混じり合って停滞していた。産婆の腕に抱かれたその赤ん坊は、驚くほど澄んだ瞳をしていた。デイジーは疲れ果ててはいたが、聖母のような慈愛に満ちた微笑を浮かべ、その小さな命を見つめている。
私はその子を腕に抱いた。驚くほどに温かく、そして軽い。エドワード・ケネディ・エリントン。それが私がこの子に与えた名だ。その小さな指先を触れたとき、不思議な感覚に襲われた。この指が、いつかはこの世に存在しない新しい音を紡ぎ出し、この世界を震わせるのではないかという、根拠のない、しかし確信に満ちた予感だ。
窓の外では、ワシントンの街が動き始めていた。馬車の轍が石畳を叩く音、人びとの話し声、風に揺れる木々のざわめき。それらすべての騒音が、私の腕の中で眠るこの子の誕生を祝う、壮大な交響楽の一部のように聞こえた。
私はデイジーの傍らに腰を下ろし、静かに祈りを捧げた。この子が歩む道が、光に満ちたものであるように。そして、この子が奏でる人生が、いかなる偏見や困難にも屈することのない、気高く美しい調べであることを。
一八九九年四月二十九日。この日、我が家に、そしてこの世界に、一人の王者が誕生した。私は確信している。この子が成長し、そのエレガントな立ち居振る舞いで人びとを魅了する時、誰もが彼を、敬意を込めてこう呼ぶだろう。
「デューク(公爵)」と。
参考にした出来事
1899年4月29日:ジャズ界の巨匠デューク・エリントン(本名:エドワード・ケネディ・エリントン)が、アメリカ合衆国ワシントンD.C.で誕生した。ホワイトハウスの執事なども務めた父ジェームズ・エドワードと、教育熱心な母デイジーのもと、中産階級の家庭で洗練されたマナーを身につけて育った。後にジャズ・オーケストラのリーダー、作曲家、ピアニストとして20世紀の音楽史に多大な足跡を残し、その気品ある佇まいから「デューク」の愛称で親しまれた。