空想日記

5月14日:生命の鍵、牛脚の膿に眠る

2026年1月17日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

グロスタシャーの朝は、いつもと変わらぬ湿り気を帯びた霧に包まれていた。窓の外では、バークリーの牧草地がぼんやりとした緑の海のように広がり、牛たちの低い鳴き声が、湿った空気をついて重く響いている。しかし、私の書斎に流れる時間は、今日、人類の歴史という大河の流れを永遠に変えてしまうかもしれないという予感に満ち、張り詰めていた。

机の上には、一振りの銀のランセットが置かれている。窓から差し込む鈍い光を反射するその鋭利な刃先を見つめながら、私は自分の掌に滲む汗を拭った。これから行おうとしていることは、医者としての無謀な賭けなのか、それとも、長年温めてきた確信の証明なのか。

数日前、搾乳婦のサラ・ネルムズが私の元を訪れた。彼女の手には、牛痘特有の膿疱が幾つも浮かび上がっていた。彼女が世話をしていた牝牛「ブロッサム」から移ったものだ。サラは誇らしげに、そして確信に満ちた声で言った。「先生、私はもう、あの恐ろしい天然痘にかかることはありません。牛痘にかかりましたから」と。田舎の者たちの間に伝わるこの伝承を、多くの高名な医師たちは迷信として切り捨ててきた。しかし、私にはどうしても、その素朴な言葉の中に、何千年も人類を苦しめてきた死神への対抗手段が隠されているように思えてならなかった。

扉を叩く音がし、庭師の息子、ジェームズ・フィップスが部屋に入ってきた。わずか八歳の少年は、何が起こるのかも分からず、ただ大きな瞳を輝かせて私を見上げている。この幼い命を危険に晒すことへの倫理的な呵責が、鋭い痛みとなって私の胸を刺した。もし私の仮説が間違っていれば、私はこの無垢な少年に、ただ苦痛と病を与えるだけの存在に成り下がる。しかし、街を、国を、世界を覆い尽くし、人々の顔を醜く焼き、命を奪い去る天然痘の猛威を止めるには、この一歩を踏み出すしかなかった。

私はサラの手の膿疱から、新鮮な漿液を慎重に採取した。それは、どこにでもある濁った液体に過ぎない。しかし、その一滴の中には、自然界が秘めた奇跡が宿っているはずだった。

「ジェームズ、少しチクッとするだけだよ」

私は少年の左腕を優しく掴み、袖を捲り上げた。白く、細い腕。そこにランセットの先を当て、皮膚をわずかに、二箇所ほど浅く傷つける。赤い血が滲み出たところに、私はサラから採取した牛痘の種を塗り込んだ。

少年は少し顔を顰めたが、泣き声は上げなかった。傷口を拭い、処置を終えた瞬間、私は自分が吐いた息の熱さに驚いた。心臓の鼓動が耳の奥で激しく打ち鳴らされている。これほどまでに手が震えたのは、初めて医術を学んだ時以来のことだ。

これから数日、彼には微熱が出るだろう。脇の下のリンパが腫れ、小さな発疹が出るかもしれない。しかし、それは勝利への予兆であるはずだ。そして数週間後、私はさらに恐ろしい実験を行わなければならない。彼に、本物の天然痘の毒を注入するのだ。もし彼が発症しなければ、私の勝ちだ。いや、人類の勝利だ。

窓の外では、霧が晴れ始め、朝日が牧草地を黄金色に染め始めていた。牝牛たちの鳴き声が、先ほどよりも明るく響いているように聞こえる。私は日記を閉じ、祈るような心地で、腕をさする少年の背中を見送った。医学の神アスクレピオスが、この小さな勇者と、一人の田舎医者の無謀な確信に微笑んでくれることを、私はただ願うばかりである。

参考にした出来事:1796年5月14日、イギリスの医師エドワード・ジェンナーが、8歳の少年ジェームズ・フィップスに対して世界初の種痘(ワクチン接種)の実験を行った。ジェンナーは、牛痘にかかった人は天然痘にかからないという農民の伝承に基づき、牛痘の膿を少年に接種。その後、少年に天然痘を接種しても発症しなかったことから、その予防効果を証明し、近代免疫学の基礎を築いた。