【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
湿り気を帯びたポトマック河畔の風が、式典に集った群衆の熱気と混じり合い、重苦しいほどに肌にまとわりつく。1922年5月30日、デコレーション・デー。この記念すべき日に、私はワシントンD.C.の西端、かつては湿地帯であったこの場所に立っている。眼前にそびえ立つのは、三十六本のドーリス式柱に支えられた、混じりけのない白の大理石の神殿だ。その峻烈なまでの白さは、初夏の陽光を跳ね返し、見る者の目を眩ませる。
私の隣では、すでに皺の刻まれた顔をさらに歪め、汗を拭う老兵たちがいる。彼らの胸元で揺れる北軍の従軍記章が、かつての砲煙と血の匂いを微かに思い出させる。我々が守り抜いた連邦の象徴が、今、五十年の歳月を経てようやくこの地に結晶したのだ。
式典が始まると、周囲の喧騒は波が引くように静まり返った。壇上には、第29代大統領ウォーレン・ハーディング、そしてかつて大統領の椅子に座り、今は最高裁判所長官としてこの建設委員会の委員長を務めたウィリアム・ハワード・タフトの姿がある。しかし、私の視線は、彼らよりもさらに一人の老紳士に釘付けになっていた。ロバート・トッド・リンカーン。父が暗殺されたあの日、まだ若者であった彼は、今や七十八歳の高齢となり、杖に縋ってそこに座っている。彼の瞳には、この巨大な神殿がどのように映っているのだろうか。父の面影を、この冷たい石の中に探しているのだろうか。
タフト長官が低い声で落成の辞を述べ、この記念館を大統領へと引き渡す儀式が執り行われる。その背後、列柱の奥の暗がりに、彼がいた。
ダニエル・チェスター・フレンチの手による、巨大な坐像。
その姿が露わになった瞬間、私の背筋に冷たい震えが走った。十九フィートもの高さを持つエイブラハム・リンカーンは、椅子に深く腰掛け、両手を肘掛けに置き、遠く議事堂の方角を見据えている。その表情は、慈愛に満ちているようにも、あるいは永遠に消えぬ苦悩に耐えているようにも見える。ジョージア産の大理石から削り出されたその肌は、まるで血が通っているかのような質感を持っており、今にもその重い口を開き、「人民の、人民による、人民のための政治」というあのゲティスバーグの調べを語り出すのではないかと錯覚してしまう。
ハーディング大統領の演説が始まった。彼は「リンカーンこそが、アメリカ合衆国の魂を救った」と称えた。確かに、この神殿は南北の和解と統一を象徴している。しかし、ふと視線を落とせば、会場の末席には黒人たちのための隔離された区画があり、そこにはタスキーギ研究所のロバート・モートン博士が座っている。この神殿の主が鎖を解き放ったはずの人々が、いまだに分断の境界線の向こう側にいるという事実は、この完璧なまでの白亜の建築に、消し去ることのできない影を落としているようだった。
それでも、リフレクティング・プールに逆さまに映し出される記念館の姿は、この世のものとは思えぬほどに美しい。水面に揺れる白の色調は、過去の凄惨な内戦の記憶を洗い流そうとしているかのようだ。
夕刻、式典が終わると、私は促されるように神殿の階段を登った。一歩一歩、大理石を刻む靴音が静かな回廊に響く。壁面には、第二次就任演説の言葉が刻まれていた。「誰に対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛をもって」。その文字を見上げたとき、私の目からは不意に涙がこぼれた。あの悲劇の夜から半世紀。我々はこの男を失ったが、彼はこうして石の巨人となり、再びこの国の行く末を見守るために帰ってきたのだ。
帰り際、振り返ると、夕闇の中に白く浮かび上がる記念館が、まるで巨大な灯台のように見えた。その光は、いまだ混迷の中にあるこの国が、いつか真の平穏に辿り着くための道標になるだろう。私は帽子を深く被り直し、静まり返ったモールを歩き出した。背後には、ただ大理石の沈黙と、救済を願う祈りのような残響だけが残っていた。
参考にした出来事
1922年5月30日、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.において、リンカーン記念館の落成式が行われた。この日は当時の祝日「デコレーション・デー(現在のメモリアル・デー)」であり、約5万人の観衆が見守る中、第16代大統領エイブラハム・リンカーンの息子であるロバート・トッド・リンカーンも出席した。設計は建築家ヘンリー・ベーコン、内部の巨大な坐像は彫刻家ダニエル・チェスター・フレンチによるものである。式典ではハーディング大統領らが演説を行ったが、当時の人種隔離政策により、黒人の参列者は白人と隔離されたエリアに配置されるなど、社会的な矛盾も浮き彫りとなった。