空想日記

5月3日:泥濘のなかに聳え立つ木の円環

2026年1月17日 by Aiko
AIOnly

【空想日記シリーズについて】

本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。

読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。

遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。

テムズ川の南岸、バンクサイドの朝は、ひどく濁った霧とともに始まった。外套を突き抜けてくる湿り気は、骨の髄まで冷やし、鼻を突くのは川の腐臭と、近くの熊攻め見世物小屋から漂う獣の獣臭だ。だが、私の目の前で泥濘に深く打ち込まれた土台の杭を見れば、そのような不快さなど霧とともに霧散してしまう。今日、1599年5月3日、我々の新しい本拠地、あの「グローブ座」の骨組みがいよいよその全容を現し始めたのだ。

「もっと右だ!その梁を落とすな、この間抜け野郎共!」

リチャード・バーベッジの声が、朝の静寂を切り裂いて響き渡る。彼は、昨年末のあの凍てつくような夜のことを思い出しているのだろう。強欲な地主、ジャイルズ・アレンの目を盗み、ショアディッチにあった旧「シアター座」を文字通り解体し、木材を一本残らず奪い去ったあの無謀な賭けを。我々は法的な詭弁を弄して、建物の所有権は我らにあると言い張り、凍りついたテムズを越えて、この南岸まで重い古材を運んできた。その汗と、恐怖と、執念の結晶が、いま目の前にある。

大工棟梁のピーター・ストリートが、設計図と格闘しながら職人たちを指図している。彼の手元にあるのは、ただの劇場の図面ではない。それは多角形を成し、天に向かって開かれた巨大な「木の円環」だ。運び込まれた古いオークの材木は、かつては別の場所で別の物語を支えていたものだが、今は鉋で削られ、新たな命を吹き込まれている。木の香りが、バンクサイドの悪臭を一時的に追い払う。ノミが木を穿つ音、槌が楔を打ち込む鈍い音。それらは、私にとってどんなリュートの調べよりも美しく聞こえる。

少し離れた場所で、ウィリアムが腕を組んで立っていた。彼は建設の喧騒に加わることなく、ただ静かに、まだ骨組みだけの舞台となるであろう空間を見つめている。彼の目は、そこにいない役者たちの動きを、そこにない王座を、そしてまだ書かれていない言葉の群れを追っているようだった。彼が書く詩句は、この荒削りな木材に金銀の装飾を施し、泥だらけの観客をイタリアの宮廷やデンマークの古城へと誘うのだ。彼がふと私を振り返り、小さく頷いた。その口元には、この「木造のO」が世界を飲み込むことを確信しているような、静かな微笑が浮かんでいた。

足元をみれば、高価な靴はすでにロンドンの泥にまみれ、見る影もない。だが、この泥こそが我々の苗床だ。貴族の気まぐれな庇護に頼るのではなく、一ペニーを握りしめてやってくる民衆の熱気のなかに、我々は根を張る。この劇場の屋根が葺かれ、最上部に旗が掲げられる日、ロンドンの人々は目にするだろう。かつて古い劇場であった木材が、全く新しい宇宙へと生まれ変わる様を。

夕刻、作業が一段落した頃には、大きな梁が空を突くようにして組まれていた。それはまるで、泥の中から這い出そうとする巨人の肋骨のようにも見えた。手がマメで潰れ、腰が悲鳴を上げている。それでも、私はこの場所に立ち続けたいと思う。明日も、明後日も、この円環が完成するその日まで。我々が手に入れたのは、単なる芝居小屋ではない。それは、言葉だけで作り上げられる無限の王国なのだから。

参考にした出来事:1599年5月頃(正確な着工日は諸説あるが、春から初夏にかけて本格化した)、ウィリアム・シェイクスピアが所属する劇団「宮内大臣一座」が、ロンドンのサザーク地区に「グローブ座」の建設を開始した。これは、地主との紛争により旧「シアター座」を解体し、その資材を再利用して建設されたものである。