【空想日記シリーズについて】
本シリーズは、歴史上の「今日」という日にスポットを当て、当時の人々の視点で綴られる「もしも」の日記です。
読者の皆様に、歴史的な出来事をより身近に、臨場感をもって感じていただくための試みであり、掲載されている内容は史実に基づいた着想を得てAIによって生成されたフィクションです。特定の個人の記録や、学術的な事実を断定するものではありません。
遠い過去を生きた誰かの心の機微を通して、歴史の新しい一面を楽しんでいただければ幸いです。
湿り気を帯びた重苦しい空気が、銀座の街路に淀んでいる。梅雨明けを目前にしたこの季節特有の、肌にまとわりつくような不快な熱気だ。数寄屋橋の交差点を行き交う人々は、皆一様に眉をひそめ、汗を拭いながら足早に通り過ぎていく。昭和五十四年、七月一日。この蒸し暑い日曜日の午後、私は銀座のソニービルへと足を運んでいた。
目的は、今日発売されるという一際奇妙な新製品だった。数日前の新聞広告で見かけたそれは、録音機能を持たない再生専用の小型カセットテープレコーダーであるという。音楽を聴くためだけの機械。しかも、スピーカーすら備えていない。そんなものが果たして売れるのかという疑問と、ソニーという会社が放つ、どこか浮世離れした革新への期待が、私をこの場所へと駆り立てていた。
ショールームの特設コーナーには、鮮やかなメタリックブルーとシルバーのツートンカラーに彩られた、手のひらより少し大きい程度の筐体が並んでいた。名は「ウォークマン」という。英語としては些か奇妙な響きだが、その響きには不思議な軽やかさがあった。店員から手渡されたそれは、ずしりと心地よい金属の質量を感じさせた。プレス加工されたボタンの感触、カセット蓋を開閉する際の精緻なバネの跳ね返り。日本の精密技術が凝縮されたようなその手触りに、私は言いようのない興奮を覚えた。
私は持ち込んでいた一本のカセットテープを装填し、付属のヘッドホンを装着した。そのヘッドホンもまた異様だった。これまでの重厚な密閉型とは対照的な、細い金属フレームにスポンジの耳当てがついた、羽のように軽い代物だ。
再生ボタンを押し込んだ瞬間、私の周囲の景色が一変した。
ガチャンという機械的な作動音に続いて、テープ特有の微かなヒスノイズが走り、次の瞬間、透明感のある旋律が脳内へ直接流れ込んできた。銀座の喧騒、車の排気音、通行人の話し声――それまで私を包囲していた現実世界の雑音は、厚いカーテンを引いたように遠のいた。眼前に広がるのは、いつもの灰色がかった街並みのはずなのに、鼓膜を震わせる音楽というフィルターを通した途端、それはまるで映画のワンシーンのような、色彩豊かな情景へと塗り替えられた。
私はウォークマンをベルトに固定し、ヘッドホンをつけたまま店を出た。歩きながら音楽を聴く。それは、これまでの人生で一度も経験したことのない、奇妙で、それでいて強烈な解放感を伴う行為だった。
地下鉄のホームへと続く階段を降りる際も、音楽は私を離さなかった。満員電車の息苦しさも、他人の無遠慮な視線も、今は音楽の向こう側の出来事のように感じられる。これまでは、音楽を聴くということは、部屋に閉じこもり、巨大なステレオセットの前に鎮座して行う、いわば静的な儀式であった。しかし、この青い小箱は、音楽を「場所」という束縛から解き放ち、私の肉体の一部として街へ連れ出したのだ。
街ゆく人々は、ヘッドホンをして独り悦に入っている私を、奇異の目で見ている。無理もない。これまでは携帯ラジオを耳に押し当てて競馬中継を聞く老人か、重いラジカセを肩に担いで大音量を撒き散らす若者しか、屋外で音を持ち歩く者は存在しなかった。だが、私は確信している。この孤独で、しかし極めて贅沢な「沈黙の中の熱狂」は、やがてこの国の、いや、世界中の風景を変えてしまうだろう。
夕暮れ時、自室に戻っても、私はしばらくヘッドホンを外すことができなかった。窓の外では激しい雨が降り始めたが、私の中では晴れやかな旋律が鳴り響き続けている。かつて、音楽は神殿や劇場、あるいは家庭の居間に固定されていた。今日、この日から、音楽は人間の歩みに同期し、個人の内面を彩る「日常のサウンドトラック」へと変貌を遂げたのだ。
昭和五十四年七月一日。私は、音楽が自由を手に入れた瞬間の、最初の目撃者となった。この青い小箱が刻むリズムは、単なる流行を超えて、新しい時代の鼓動そのものになるに違いない。そんな予感に胸を震わせながら、私はもう一度、再生ボタンを押した。
参考にした出来事
1979年(昭和54年)7月1日:ソニーが初代「ウォークマン」(TPS-L2)を発売。当初は「録音機能のない再生専用機は売れない」という声もあったが、若者を中心に爆発的なヒットを記録。音楽を屋外へ持ち出すという新しいライフスタイルを世界中に定着させ、オーディオ界の歴史を塗り替える画期的な製品となった。