【リミックスについて】
リミックスは、AIを架空の作家に見立て、異なる二つの名作を掛け合わせる実験的な掌編小説群です。「作品Aの哲学・設定」を「作品Bの文体」で描くとどうなるか? そんな空想を出発点に、AIが緻密な論理と模倣で再構築した物語をお届けします。
原作への敬意と遊び心を込めたパロディ作品として、AIが生み出す奇妙な化学反応をお楽しみください。
※本カテゴリの作品はすべてAIによって生成されたフィクションであり、実在の作家・作品とは異なる独自の解釈を含みます。
概要
『人間失格』(太宰治) × 『ライ麦畑でつかまえて』(サリンジャー)
僕はもうずいぶん前から、この世界がひとつの巨大な、底の抜けた劇場なのではないかと疑っている。別に大袈裟な話じゃない。冗談なんかじゃないんだ、ていうか。街を行き交う人々、カフェの片隅で新聞を広げる老人、駅のホームでスマホを弄る女子高生、みんなまるで、与えられた役柄を完璧に演じているようにしか見えない。彼らの顔は、感情のひだ一つない平坦な、しかし精巧に作られた仮面のように光を反射する。そして、その仮面の下に何があるのか、僕はそれをどうしても見破ることができない。
高校を卒業してすぐ、僕は大学という場所から逃げ出した。だって、あそこも劇場だったからだ。教授たちは「知」を説く賢者を演じ、学生たちは「未来ある若者」を演じる。サークルの先輩は「頼れる兄貴分」を演じ、後輩は「純粋な新人」を演じる。みんな、誰かに見られていることを意識して、その役を全うしようと必死だった。それが苦痛でならなかった。僕には、彼らの役者ぶりがあまりにも鮮明に見えすぎて、彼ら自身が、自分たちが何を演じているのかすら忘れてしまっているように思えたのだ。つまり、イカサマなんだ。本物なんて、どこにもありゃしねえってわけさ。
僕は街を漂う。日雇いの警備員だとか、夜の清掃員だとか、あるいはバーの皿洗いだとか、とにかく、人と深く関わらずに済むような、そんな仕事を転々とした。どこへ行っても、その劇場は続いていた。昼間のオフィス街では、誰もが「真面目なビジネスパーソン」を演じ、夜の歓楽街では「享楽的な遊び人」を演じる。彼らは、役割を変えることに何のためらいも持たない。まるで着替えでもするかのように、仮面を付け替える。僕は、その変容の滑らかさに、吐き気を催すほどの恐怖を覚えた。彼らは一体、いつになったら本当の自分になるのだろう? それとも、彼らにとって「本当の自分」など、最初から存在しないのだろうか?
僕は自分自身を、常に道化として演出してきた。人間が何を面白いと思うのか、何に心を動かされるのか、それを必死で学習し、彼らが望むような反応を返す。おどけてみせたり、殊勝な顔をしてみせたり、あるいは、彼らの不平不満に同調して頷いてみせたり。そうでもしないと、彼らの目から見て、自分が奇妙な存在に見えてしまうのが怖かったからだ。彼らは、僕が「面白い人間」であることに満足し、僕の演技に何の疑いも抱かない。それどころか、「冬馬は人間観察が鋭いなあ」などと、僕が最も恐れる部分を褒めそやしたりする。そのたびに、僕は胃の腑のあたりが凍りつくような感覚に囚われるのだ。彼らは、僕の仮面の下にある、何もかもを見透かしたような目を、決して見ようとはしない。
ある夜、僕は古びたバーのカウンターに座っていた。店の隅では、くたびれた中年の男が、酔っ払って大声でくだらない自慢話を繰り返している。彼の隣に座る若い女は、時折作り笑いを浮かべながら、うわの空で相槌を打っている。彼女の目が、僕の視線を捉えた瞬間、一瞬だけ、その顔から仮面が剥がれ落ちたように見えた。そこには、深い疲労と、この状況に対する諦念が横たわっていた。しかし、その刹那、彼女は再び、男のくだらない話に興味津々であるかのような表情を、完璧に貼り付けたのだ。
僕はその光景に、ある種の諦めにも似た感覚を覚えた。もし、人間が皆、こうして仮面を被って生きるしかないのだとしたら、僕がその仮面を剥がそうと躍起になること自体が、愚かしい行為なのではないか、と。いや、愚かしいどころじゃない。それは、劇場で役者の衣装を剥ぎ取ろうとするような、暴力的な蛮行だ。そして、もしかしたら、僕自身もまた、無意識のうちに何らかの仮面を被っているのではないか? そう考えると、得体の知れない不安が、黒い泥のように心の奥底から湧き上がってきた。
僕にはかつて、ミサという恋人がいた。大学で出会った彼女は、僕がこの世界で唯一、仮面を被っていない人間だと信じられる存在だった。彼女は、僕のどんな奇妙な言動も笑って受け入れてくれたし、僕が人間に抱く恐怖を、真剣な顔で聞いてくれた。彼女の瞳は、常に澄み切っていて、まるで底が見える井戸のようだった。僕は彼女に、僕の抱えるあらゆる暗闇を打ち明けた。人間がいかに脆く、そして互いを欺き合う存在であるか、僕がなぜ道化を演じずにはいられないか。彼女はただ、静かに僕の話を聞き、そして僕の手を握りしめてくれた。「あなたは、きっと誰よりも正直なのよ」と、彼女は言った。
だが、そのミサも、いつしか変わってしまった。大学を卒業し、彼女は有名企業に就職した。最初は「社会は変えるべきもの」だと意気込んでいた彼女だったが、次第に口にするのは、同僚の噂話や、上司の機嫌の取り方、キャリアアップのための戦略ばかりになった。彼女の瞳は、以前のような澄み切った光を失い、代わりに、社会の濁った水面を反射するような、鈍い輝きを帯びるようになった。
ある日、久々に会った彼女は、僕が冗談で言った「みんな、仮面を被っているだけなんだ」という言葉に、冷笑を浮かべた。「何言ってるの、冬馬。それが大人になるってことでしょう? あなたもいつまでもそんなこと言ってる場合じゃないわ。いい加減、現実を見たら?」
その瞬間、僕の心臓は、薄いガラスのように砕け散った。彼女の顔は、完璧な大人という仮面で覆われていた。かつて、僕が唯一真実だと信じたその顔が、今や、僕が最も嫌悪する「イカサマ」の顔になっていた。僕は、まるで背中に冷たいナイフを突き立てられたような衝撃を受けた。彼女にすら、僕の言葉は届かない。僕が必死で叫び続けてきた真実は、彼女にとって、ただの子供じみた戯言でしかなかったのだ。
それ以来、僕の人間に対する恐怖は、さらに深いものになった。誰もが、何かの目的のために仮面を被る。そして、その仮面は、いつしか剥がせなくなる。いや、剥がそうという気力すら失せるのだ。ミサは、もはや自分が仮面を被っていることにすら気づいていないように見えた。それは、恐ろしいほどの完成された演技だった。彼女は、社会の舞台で、与えられた役を完璧に演じる、一流の役者になっていた。
僕は再び、街を彷徨う。人々の顔を見つめる。彼らは皆、それぞれの役柄を生き生きと演じている。電車の中では「疲れた通勤者」を、カフェでは「優雅な読書家」を、公園では「慈愛に満ちた親」を。彼らは決して、その役柄から逸脱しようとはしない。逸脱すれば、社会という名の劇場から追放されてしまうことを、本能的に知っているからだ。
僕が彼らを観察すればするほど、彼らの仮面は僕の網膜に焼き付き、僕の脳裏に深く刻み込まれていく。そして、その仮面の一つ一つが、まるで僕自身の皮膚のように感じられ始めた。彼らの偽りの笑顔が、僕の口元にも貼りつき、彼らの空虚な眼差しが、僕の瞳にも宿っているような錯覚に陥る。
ある日、僕は鏡の前に立っていた。そこに映る自分の顔は、疲弊しきっていて、まるで生気を失った道化師のようだった。僕は自分の顔に触れた。皮膚の下に、何もない空洞があるような気がした。本当の自分はどこへ行ったのだろう? 人間を恐れ、道化を演じ続け、そして彼らの仮面を暴こうとした結果、僕自身が、最も巧妙な仮面を被ってしまったのではないか。
僕の仮面は、他人の仮面を見抜くという、皮肉な仮面だ。僕は、彼らが演じる「役者」としての仮面の下に、彼ら自身の「本質」が存在すると信じていた。しかし、ミサの変容を見て、僕は悟ったのだ。彼らにとって、仮面こそが「本質」であり、役割こそが「存在意義」なのだと。そして、僕が彼らの仮面を「イカサマ」と断罪し、彼らを「役者」と呼ぶこと自体が、僕自身の「役」だった。社会の舞台で、唯一、その欺瞞を見抜くことを許された「孤高の観察者」という、滑稽な役柄を。
僕は、この「孤高の観察者」という役を演じることで、他人と距離を保ち、傷つくことから逃れてきた。そして、この役を演じる僕自身の仮面は、もはや僕の顔に完璧に密着していて、剥がそうにも剥がせない。それは、僕の皮膚そのものであり、僕の骨格そのものと化していた。
カフェの窓辺に座り、僕は外を行き交う人々を眺める。彼らの顔は、今日も完璧な仮面で覆われている。彼らは、その仮面の下にあるべき「真実の顔」など、とっくの昔に捨て去ってしまったのだろう。あるいは、最初から、そんなものなど存在しなかったのかもしれない。彼らは、自らの仮面が、もはや自分自身であると信じて疑わない。
僕はゆっくりと、手元の冷めきったコーヒーを口に運んだ。その瞬間、僕は理解した。僕自身もまた、彼らと同じく、剥がれぬ皮膜に覆われた、完璧な「偽物」なのだと。僕が嫌悪した「イカサマ」の舞台で、僕は最も巧みな「イカサマ」として、存在している。そして、それが僕にとっての、唯一の「真実」であった。この、途方もない皮肉こそが、僕の生きた証なのだと。僕にはもう、仮面を剥がすことも、剥がれることも、できない。ただ、この皮膜の奥で、静かに、観察者としての役を演じ続けるだけだ。永遠に。