短編小説

泥濘の聖母

2026年1月3日 by Satoru
AIOnly 胸糞悪い

概要

「一週間だけ泊めて」その慈悲が地獄の始まりだった。職を失った親友に差し出した鍵。数ヶ月後、私の家には私の知らない家具が並び、私の友人は彼女を絶賛し、私の銀行口座は空になっていた。寄生する聖女の物語。

美智代が雨の中、震えながらドアの前に立っていたとき、亜希子の胸を占めたのは純粋な同情だった。「一週間だけ、行き場がないの」という震え声。婚約者に裏切られ、仕事も失ったという親友を、亜希子は迷わず招き入れた。

それが、自身の輪郭が消えていくカウントダウンだとも知らずに。

一ヶ月が過ぎた頃、部屋の空気が変わり始めた。 亜希子が仕事から帰ると、長年愛用していた北欧風のサイドボードが消え、代わりに美智代が「拾ってきた」という趣味の悪いアンティーク風の棚が鎮座していた。

「あ、あれ捨てちゃった。だって亜希子、あんな安っぽいの似合わないよ。私、亜希子のために部屋を『格上げ』してあげてるの」

美智代は聖母のような微笑みを浮かべて言った。亜希子が抗議しようとすると、美智代は悲しそうに目を伏せる。「せっかく一生懸命、重い思いをして運んだのに……。亜希子って、時々すごく攻撃的になるよね。疲れてるんじゃない?」

二ヶ月目、亜希子のスマートフォンから通知音が消えた。 友人たちとのグループラインから、いつの間にか亜希子が外されていたのだ。代わりに美智代が彼らと頻繁に会っていることを、SNSで知った。投稿には、亜希子の家で、亜希子の皿に盛られた料理を囲む友人たちの姿があった。

「みんな、亜希子のこと心配してたよ。最近、情緒不安定で家から出たがらないって伝えておいたから。安心して、私がちゃんとフォローしてるからね」

美智代の手は、いつの間にか亜希子の給与振込口座のカードを握っていた。「管理が苦手な亜希子のために」という名目で。亜希子が返してと言えば、「またそんな疑い深いことを……。悲しい。私を信じられないなら、もう一緒にいられない」と、まるで被害者のように泣き崩れる。

三ヶ月目。亜希子は自分の家の中で、透明な存在になっていた。 リビングでは、美智代と亜希子の共通の友人が楽しげにワインを飲んでいる。亜希子が部屋から出ようとすると、友人の一人が冷ややかな、あるいは憐れみの入り混じった視線を向けた。

「亜希子、まだ具合悪いの? 美智代に甘えてばかりじゃダメだよ」

美智代は友人の肩に手を置き、慈愛に満ちた声で応じる。「いいの、私がこの子を守るって決めたんだから。ね、亜希子?」

亜希子は声を出そうとしたが、喉が引き攣って音にならない。 鏡を見ると、そこには美智代が選んだ「亜希子に似合う」という、薄汚れた灰色のパジャマを着た、生気のない女が立っていた。一方で美智代は、亜希子がボーナスで買ったお気に入りのワンピースを着て、主人の顔をして笑っている。

「そういえば、このマンションの契約、私の名義に書き換えておいたから。亜希子、無職になったら審査通らないでしょ? 私、知り合いの不動産屋に頼み込んで、なんとか亜希子がここに住み続けられるようにしてあげたのよ」

「……無職? 私は、仕事に……」

「あら、先週辞めたじゃない。上司の人に、私が代理で電話したわよ。亜希子が『精神的に限界で、声も聞きたくない』って泣いてるって。あんなブラック企業、辞めて正解よ。これからは、ずっと私と一緒にいましょうね」

美智代は、赤ん坊をあやすような手つきで亜希子の頬を撫でた。 その指先には、亜希子が大切にしていた婚約指輪が光っている。美智代が「捨てられてかわいそうだから、私が供養してあげる」と言って奪い取ったものだ。

逃げ出そうにも、金はない。友人はいない。社会的な繋がりも断たれた。 窓の外は土砂降りの雨だった。あの日、美智代を迎え入れた時と同じ雨。

「さあ、亜希子。お掃除の時間よ。私の家を、汚さないでね」

美智代の瞳には、微塵の悪意もなかった。 あるのは、一人の人間を徹底的に解体し、自分という存在の部品に作り替えたという、完遂された「善意」の達成感だけだった。

亜希子は震える手で雑巾を握りしめた。 自分の名前さえ、もうすぐ思い出せなくなるような気がした。